災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
1858 飛越地震
報告書の概要
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はじめに
1858年飛越地震の地震像、越中〜飛騨北部にかけての家屋の被害、各所で発生した土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらした状況など、災害の概要を記述した。
近年、2004年新潟県中越地震や2008年岩手・宮城内陸地震など、顕著な土砂災害をもたらした事例も含め、飛越地震の地震像、災害像、さらには復旧から復興に至る過程から得られる教訓を、将来の地震防災に活かすことの重要性を記述した。 -
第1章 地震像と活断層
震源地周辺の地形、地質、植生などの自然環境を記述し、飛越地震の地震像については、新しい知見として、双子地震であった可能性に触れ、地震を引き起こした跡津川断層について、その地質的概要、トレンチ調査などから得られた活動度の推定、跡津川断層の現在の活動と総合観測の結果、さらには将来の活動予測とともに、地震発生時の被害想定についても記述した。
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第2章 災害の概要
飛越地震による災害の状況を、平野部の被害と山地における大規模土砂災害とに分けて詳説した。平野部では、常願寺川流域および神通川流域での家屋の倒壊、地盤の液状化災害、人的被害について記述、とりわけ飛騨国での被害が大きかった点を明らかにした。
土砂災害については、神通川流域の各所、特に飛騨側での土砂崩壊が顕著であったこと、また、庄川、小矢部川、黒部川流域の土砂災害についても触れた。
とりわけ、飛越地震の名を後世に留める原因となった「鳶崩れ」の発生と天然ダムの形成、地震の2週間後と2か月後の2回にわたり決壊し、特に2回目の決壊では、富山平野に大洪水をもたらした災害の状況について、古絵図や古文書などの資料および立山カルデラ内に残る自然の証跡などをもとに詳しく記述した。
また、加賀藩、富山藩、幕府直轄領においての情報収集がどのように行われたかについて記すとともに、「地水見聞録」や「越中立山変事録」などの古文書が、この災害をどのように記述し、また、「立山大鳶山抜図」などの古絵図が、災害の状況をどのように描写しているかを紹介して、それらから何が読み取れるかを記した。 -
第3章 救済から復興へ
大災害後に行われた加賀藩と富山藩による救済と復旧、被災地住民の移転、寸断された飛騨街道の復旧と、途絶した越飛交易が再開されるまでの過程、各地に残る供養碑や大洪水がもたらした大転石の紹介、飛騨国における救済と復旧、復興などについて記述した。
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第4章 常願寺川の砂防事業
大災害の後暴れ川に変身した常願寺川について、砂防事業や河川改修事業が、はじめは富山県により行われ、後に国による直轄事業として実施されるに至った経緯、富山平野を洪水から守るために、直轄砂防事業が現在までどのように展開されてきたのか、日本の砂防事業発祥の地となった常願寺川上流の防災事業について詳説した。
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第5章 まとめと教訓
飛越地震がもたらした現代への教訓を、各執筆者が、それぞれ専門の立場から記述し、将来の地震災害に備えるうえで、「温故知新」の大切さを確認した。
報告書(PDF)
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口 絵
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目 次
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巻 頭 言
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第1章 地震像と活断層
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第1節 震源域周辺の地勢
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コラム1 神田和泉町・佐久間町における住民による消火活動
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第2節 安政飛越地震の地震像
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第3節 跡津川断層の地質的概要
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第4節 跡津川断層の現在の活動と断層構造調査
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コラム2 新潟−神戸歪集中帯について
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第5節 将来の活動予測について
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第2章 災害の概要
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第1節 平野部の被害
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第2節 大規模土砂災害
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第3節 古文書・古絵図に残る記録
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第3章 救済から復興へ
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第1節 加賀藩による救済と復興
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第2節 常願寺川左岸被災村の引越移住と起返
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第3節 富山藩領の救済復興と飛越交易
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第4節 記録に見られる地震被害とコレラの蔓延
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第5節 水難防除の碑と供養碑
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コラム3 次の災害に備え二番堤防の構造
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第6節 飛騨国における救済と復興
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第4章 常願寺川の砂防事業
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第1節 常願寺川の概要
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第2節 常願寺川の変ぼう
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第3節 富山県による砂防事業及び河川改修事業
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第4節 国による砂防事業
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第5節 河川改修事業の経緯
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第6節 直轄砂防事業の展開
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第7節 今後の砂防事業
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第5章 まとめと教訓
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資料編
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用語解説
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災害概略シート
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謝辞