報告書(1959 伊勢湾台風)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
1959 伊勢湾台風

報告書の概要

  • はじめに

     1959年(昭和34年)9月26日夕刻に紀伊半島先端に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、台風災害としては明治以降最多の死者・行方不明者数5,098名に及ぶ被害が生じた。
     この台風による犠牲者は全国32道府県に及んだが、その83%は高潮の発生によって愛知・三重の2県に集中した。これによって、その後の高潮対策が大きく進展したが、それに留まらず「災害対策基本法」制定の契機となるなど今日の我が国の防災対策の原点となった。

  • 第1章 伊勢湾台風災害の概説

     伊勢湾台風によって伊勢湾奥部に既往最高潮位を1m近く上回る観測史上最大の3.55mの高潮が発生し、それが不十分な防災対策のまま市街化して来た日本最大のゼローメートル地帯に来襲した。加えて、大量の木材が貯木場に集積していたことやそこが高潮災害の危険地帯であることの自覚や警戒心の不足、さらに来襲が夜間であったことなどが加わり、災害が激甚化した。

  • 第2章 被害の状況

     伊勢湾台風は、我が国観測史上最強・最大の上陸台風である室戸台風(1934年)に比べ、台風のエネルギーとしてはその半分程度でありながら、これを格段に上回る被害をもたらした。その原因は、未曾有の高潮の発生と臨海部低平地の堤防の決壊にあり、愛知・三重両県における建物の全壊・半壊・流失数の全国比は犠牲者数の全国比83%に近い73%に達していた。高潮氾濫によって人と建物の被害がほぼ同じ割合で増大し、この関係は地域や時代を問わず共通していることを示した。

  • 第3章 災害の特性

     伊勢湾台風による災害の特性を、誘因、素因および拡大要因それぞれの特性に着目して災害構造論の観点から捉え直すとともに、行政・報道・企業・住民の被災前後の対応と警報・避難情報・災害経験の減災効果を明らかにした。

  • 第4章 被災後の救済から復旧過程での対応と「災害対策基本法」の制定

     名古屋市では、水防計画で指定していた56箇所の避難所(学校)に加え、被災後205箇所を避難所として新たに指定し、実人員数81,862人を収容した。食糧などの配給や巡回診療に加え、「お知らせ」を毎日発行するとともに被災地要所には速報板(毎日2回のビラ掲出)するなどの対応が行われた。国は、9月30日に「中部日本災害対策本部」を設置し、堤防の締め切り、湛水地域の排水、応急救助の円滑化、被災者支援、応急仮設・災害復興・災害公営住宅等の建設・補修、資材の緊急輸送などの復旧活動を一元化した。この経験等を踏まえ、防災の概念と国の責務を明確にした「災害対策基本法」が被災から2年後の1961年10月に制定された。

  • 第5章 国民生活への影響

     1976年(昭和51年)9月12日の長良川破堤による9・12水害前後(1973年および1977年)の水防意識のアンケート調査結果では、水害の危険性無しの回答が水害前の21.2%から水害後には1.6%に低下しており、水防意識を支配する災害経験の重要性が指摘された。
     また、伊勢湾台風による東海3県の住民生活への影響を物的被害や被災児童数について調べ、被災小中学生が18,011人に及んでいたことを示した。名古屋市では南部一帯の住民安全度を高めるため、災害危険区域指定と臨海部防災区域条例の設定・施行を行った。

  • 第6章 総括と継承すべき教訓

     我が国の地理的宿命や進みつつある地球温暖化を踏まえ、伊勢湾台風のような大災害を繰り返さないために我々が持つべき認識と課題について取りまとめた。

報告書(PDF)

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内閣府政策統括官(防災担当)

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