報告書(1847 善光寺地震)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月
1847 善光寺地震

報告書の概要

  • はじめに

     弘化4(1847)年の善光寺地震は、マグニチュード7.4の典型的な内陸直下型地震であり、善光寺如来の居開帳のため観光客で賑わう善光寺領とその周辺は大きな被害を受けた。  また、広範囲にわたり地すべりや山地崩壊が発生し、大量の崩壊土砂による川の堰き止め、決壊、洪水の発生という二次災害による被害も大きかった。

  • 第1章 災害の概要

     善光寺地震は、長野盆地の西縁を形成してきた断層が動き発生した。善光寺平は、中越地震や濃尾地震なども発生した日本列島中央部に存在する歪集中帯内に位置している。 さらに、震源断層と考えられている長野盆地西縁系断層は、全国的に見ても活動的といえる。
     建物の倒壊、火災、土砂災害、崩壊土砂による天然ダムの形成と決壊による 水害など各種災害が複合的に発生し、1万人前後の人々が死亡したと推定される。古文書や絵図による記録が数多く残されており、 天然ダムの湛水範囲と決壊後の洪水範囲など被害状況を知ることができた。

  • 第2章 被害と救済そして復興

     善光寺と周辺の宿場などには市街地が発達していたため、家屋倒壊が多数発生した。また、二次災害である火災によっても大きな被害が発生した。 さらに、居開帳の期間中であったため参詣者等が存在したことや、地震が夜間に発生したことも被害を拡大する要因となった。 被災者は都市化が進む前の社会であったため、親類縁者を頼り、在所に避難した。住民相互の支援も、近隣諸郷の間で、食料品などを中心として早い段階から行われた。
     災害への対応としては、地震直後の祈祷・施餓鬼供養などに始まり、お触れ・高札、情報の収集・被害の把握、夫食・物資・銭金の融通・救恤、藩主や藩役人による 被災地の検分、顕彰、旅人への施し、普請、各藩との協力など一連の施策が実施されたが、代官所や藩によって実施項目・内容は異なるものとなった。

  • 第3章 災害情報

     文字による災害情報や人を介し流通した情報、読売・災害絵図・地震口説きなどの摺物、現地に残る絵馬や供養塔など、現在に残る災害情報の面から、善光寺地震の特徴を考えた。
     長期にわたってニュース性を保ち、様々な形(情報)で広まり、消費された点に善光寺地震に係る災害情報の特徴がある。
     本震の大きさに加え、余震が長く続き、人々の不安を助長させたこと、各種の災害が複合的に発生し長期化したこと、善光寺への参詣者・行方不明者を訪ねる縁者が存在したことなどがその理由と考えられている。

  • 第4章 まとめ

    ・今回、多くの災害教訓を引き出すことに成功したのは、藩主自ら現地調査に赴くなど、当時においては特異ともいえる松代藩の優れた災害対応の結果に負うところが大きい。
    ・地震による崖崩れや土石流、天然ダムや孤立地区の発生は新潟県中越地震でも起こっており、将来の災害に備えるため、過去に発生した地震により土砂災害が発生した箇所を精査し、 ハザードマップの作成、二次災害を含めた危険箇所の周知などを計画的に進める必要がある。
    ・倒壊家屋から脱出できず、多数が焼死したことを踏まえ、建築物の耐震化や不燃・難燃化に取り組むことが重要である。

報告書(PDF)

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