阪神・淡路大震災教訓情報資料集【04】産業・経済の再生

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  • 4.第3期以降も続く課題(地震発生後6ヵ月以降)
    • 4-02.産業・都市の再生
      • 【04】産業・経済の再生
        • 01.兵庫県の「産業復興指数」では、95年1月の76.1に対して97年1月で95.0。産業復興の緊急三カ年計画が終了する時点では99.4%まで戻ったとされたが、業種や地域、企業規模による格差は大きかった。
          • 01) 兵庫県は産業の復旧・復興状況について「復興指数」を発表。これによれば、95年1月の76.1に対して半年後87.0、一年後で92.6の復興状況となっている。
          • 02) 神戸新聞の復興指標では、震災から二年目では56.5%、三年目では70.1%で、この間僅か13.6ポイント上昇したにとどまった。
          • 03) 兵庫県「産業復興3カ年計画」に示された116事業は、97年2月現在で8割が完了・実施段階。3カ年計画の終了時点で復興度は99.4とされた。
          • 04) 98年5月のアンケートでは、災害復旧融資について「無条件で返済が可能」と答えた企業は41.5%。被災企業の借入残高は、非被災企業の2倍以上となり、兵庫県などでは、返済据置期間を延長した。
          • 05) 地域経済は、マクロで見た場合、97年度に震災前の状況に回復したと言われていたが、その後の全国的な景気の低迷により足踏みあるいは後退状態となっており、特に、ミクロではまだ回復したとは言いにくい。□
          • 06) 99年の神戸市の検証では、震災後の神戸の経済状況は97年以降伸び悩み、8割復興のまま停滞しており、その要因は全国的な不況の影響や、産業構造の問題によるところが大きいとされている。□
          • 07) 復興特需がもたらした副作用として、被災地内の様々な経済格差が拡大したことと、被災地の産業構造転換を遅らせたことが、指摘されている。◎
          • 08) 地震発生から約9年を経ても、景気や経済構造の変化の影響が重く、老舗の廃業が相次ぐなど被災企業の経営は厳しい状況にある。★
          • 09) 緊急災害復旧資金は、繰り返し据置期間が延長されながら、返済が進んでいる。▼
          • 10) 10年余を経て、以前と経済情勢は厳しいが、景気回復を背景に明るい兆しもある。▼
          • 11) 97年度以降の兵庫県の域内総生産が減少し続けた。その要因として、短期的な投資活動の動向に大きく左右される兵庫県経済の構造が指摘されている。●
        • 02.大企業・中小企業の格差、製造業・非製造業の格差が広がった。
          • 01) 震災から3年を経て、製造業では、鉱工業生産指数や使用電力量は100%以上となっているものの、ケミカルの生産額は60%前後にとどまる。
          • 02) 神戸経済中で港湾・商業・サービスなどの非製造業のウエイトは6~7割と高く、震災によるダメージは非製造業に集中的に表われた。
          • 03) 鉱工業生産指数でみると、95年の水準からすると99年は110~113で、震災前年よりおおむね上回っている。ただし、業界別に観察するとかなりの温度差がある。□
          • 04) もっとも大きな被害を受けた長田のケミカルシューズ産業は、復興支援工場、神戸ブランドプラザ、シューズプラザなどの新たな展開に取り組んでいる。□
          • 05) 他の地場産業に関しても、「北野・工房のまち」や灘の酒・酒蔵等の地域的特性を生かした新たな取り組みがみられる。□
          • 06) 事業所の規模・業種・地域間で復興状況に格差が拡大し、特に地域に根ざした中小製造業、商業、サービス業にとっては売り上げの伸び悩みなど厳しい状況が続いている。□
          • 07) 神戸市は、民間貸工場家賃補助制度を創設し、民間の貸工場で操業している中小企業を支援した。●
        • 03.百貨店は阪神間を中心に震災で失った商圏の回復が課題となった。地元商店街・小売市場の復興は人口の減少が影響して、厳しい状況が続いている。
          • 01) スーパーは順調に回復したものの、百貨店では都市間競争の厳しさも明らかとなり、震災で失った商圏の回復が課題となった。
          • 02) 高齢者の零細商店は廃業する所も多く、神戸市内の商店街・小売市場の営業再開率は96年1月76%、97年1月81%。商圏人口の減少の著しい地区で再開率が低い。
          • 03) 商店街・小売市場の再建には様々な制度面での支援が行われた。
          • 04) 共同での仮設店舗設置や本格的共同再建も行われたが、人口の減少によって売上高は低迷している。
          • 05) 周辺にスーパーの進出が相次ぐなど、再建には厳しい環境がつづく。
          • 06) 99年の兵庫県の検証では、小売店一般は、商店数、従業員数、販売額のいずれにおいても全県、全国と比較しても事態が悪化しているが、被災地の中でも相当の温度差がある。□
          • 07) 99年の神戸市の検証では、商業全体として8割復興で停滞し、特に卸売業、零細小売店に深いダメージがあるとされている。□
          • 08) 都市計画事業の進捗と商店街・市場の商店主が求めた復興の速度にはギャップがあった。▲
          • 09) 商店街・小売市場の復旧・復興のために、人的支援、関係者のコミュニケーション等が重要であった。▼
          • 10) 商店街の復興に際し、経済面のみならず社会機能的な色彩を加味し、複合的に問題を考える方向性が強まった。▼
          • 11) 中小商業者は、倒壊した店舗と新規店舗、店舗と住居、あるいは個店と商店街・小売市場集団施設の、二重の支払いを余儀なくされるケースが少なくなかった。▼
          • 12) アーケードの復活は商店街再生の一つの象徴となった。▼
        • 04.観光施設の回復は進んだものの、観光客がもどらず、観光業関連の売上げ回復は遅れている。
          • 01) 震災による神戸壊滅のイメージが影響したことから、「元気復興キャンペーン」「夏 こうべで」などの各種イベント、全国各地への観光キャラバンの取り組みなどがなされた。
          • 02) ホテル・旅館等の復旧は約半年後で8割を越えたが、シティホテルの稼働率は1年後で約5割程度にとどまった。その後、復興需要もあって回復傾向にあったが97年夏以降は伸び悩んだ。
          • 03) 観光入込客数は震災以前に比べて大幅に減少し、96年1月では3割減となりその後も低迷。観光産業の重要性が十分に認識されていないとの指摘もある。
          • 04) 99年時点では、神戸ルミナリエや明石海峡大橋の効果で観光業は急速に回復に向かっているが、神戸市内観光施設は8割、ホテル客室稼働率は6割に低迷している。□
          • 05) 震災を学ぶ場として、修学旅行で被災地を訪れる学校が増加し、観光面のみならず、地域の活性化にも貢献することが期待されている。★
          • 06) 2000年からの「See阪神・淡路キャンペーン」で、計19のイベントに延べ500万4,000人の集客があった。☆
          • 07) 観光復興の課題として、当初の戦略マネジメントの不在、入込客数の客観性、マーケティング評価の軽視が指摘されている。▼
            • 05.都心のオフィスビル再建は、大手資本は比較的早く進んでいるものの、地元資本による再建は遅れ、加えて、入居率は徐々に低下する傾向にある。
              • 01) 神戸市中心部の業務ビル被災によって、大阪を中心とした神戸市外に出たオフィスもあったが、三宮やその周辺に移転したものが大半であった。
              • 02) 神戸市外に出た企業は、95年12月時点で、9割が市内に復帰したが、都心部への復帰は遅れている。
              • 03) 小規模オフィスの需要が多いものの、神戸市内の中小地場オーナーによる再建は遅れており、国の助成制度が必要との指摘もあった。
              • 04) 震災後、一時的に入居率は上昇したが、その後徐々に低下。97年3月~6月にはビルが相次いで竣工し、入居率は震災前の水準を下回った。
              • 05) 99年の兵庫県の検証では、被災地における企業立地は、バブルのピーク時の約5分の1程度にとどまっている。□
              • 06) 神戸市では、震災前後で約9千の事業所が減少し、特に従業者数4人以下の零細事業所の事業所数と従業者数の減少が目立つ。□
              • 07) 神戸市では、建物復旧が必要な被害を受けた市内企業が復旧完了した割合は、95年に過半数に達したが、97年以降は7割台にとどまっている。□
              • 08) 神戸市では、復興によるオフィスビルの再建・新築に伴い供給過剰となり、99年3月の空室率は17.3%にまで上昇した。□
              • 09) 取り壊された神戸都心のオフィスビルの多くが再建されたが、マンションなどに用途変更されたものも多い。●
                • 06.港湾施設は復旧したものの、関連産業や道路復旧の遅れ、他港に移った貨物が戻らないことなどから、コンテナ貨物量の回復は遅れている。
                  • 01) 港湾施設の復旧に比べて交通アクセス復旧が遅れた。臨港交通施設等の段階的な復旧に伴って、取扱貨物量も回復していった。
                  • 02) コンテナ貨物量の回復が遅れている原因として、地震後に利用者が利用港湾を変更、国内他港との競争、後背圏の輸出入関連産業が回復していないことなどが指摘された。
                  • 03) 海事関係産業の復旧状況は震災後1年~1年半で概ね8~9割の回復状況となった。
                  • 04) 97年5月には復旧工事が完了し「復興宣言」が出された。徐々に震災以前の状況に回復しつつあるものの、国内他港はこの間にも輸出入を大きくのばしており、震災の影響が依然として残った。
                  • 05) 内国貿易取扱貨物については、震災後約2年で一旦震災前の水準に回復したものの、明石海峡大橋の開通でフェリー貨物量が大幅に激減した。
                  • 06) 2004年の神戸港のトランシップ貨物は、取扱貨物全体の2.3%にまで激減している。●
                • 07.入港手続きの簡素化等、国際競争力を高める対応が図られたが、本格的構造改革に向けた港湾関係組織の調整には困難も大きかった。
                  • 01) 96年5月には関係26団体による「神戸港復興推進協議会」が発足。24時間荷役の継続、入港手続きの簡素化、水先制度の緩和などが課題となった。
                  • 02) 入港手続きの簡素化が図られることになり、96年11月以降、書類の簡素化やファックスによる受け付けが始められた。
                  • 03) 神戸港では、港湾施設使用料等の見直し、内航フィーダーサービスの利用促進、規制緩和、事務手続きの簡素化、企業誘致の促進等が進められている。□
                  • 04) 神戸港では、10年のうちに土地利用の変化が進むとともに、スーパー中枢港湾の指定など、明るい兆しも見えてきている。●
                • 08.神戸港を中心として新たな取り組みが展開されている。
                  • 01) 神戸市ポートアイランド2期地区では、上海・長江交易促進プロジェクトを始めとする様々なプロジェクトが進められることとなった。
                  • 02) フリートレード・ゾーンの設定など様々な規制緩和を求める声も多かった。兵庫県・神戸市は、独自に「神戸起業ゾーン」で地方税減免などの措置を行い、新規産業の育成を図っている。
                  • 03) 民間企業が主体となって設立されたNIRO(新産業創造研究機構)は、大規模に地域のシーズを結集し、さらに海外の研究機関、大学とのネットワークを形成している。□
                  • 04) 外国・外資系企業の被災地への投資を促進するため、(財)阪神・淡路産業復興推進機構により、99年5月に「ひょうご投資サポートセンター(HIS)」が設置された。□
                  • 05) 99年の兵庫県の検証では、産業ゾーニングについて、開発計画、プロジェクトの優先順位を提示すること、美しい自然環境や生活の質を重点として再検討することが必要と、提言されている。□
                  • 06) 復興特定事業に選定された医療産業都市構想の拠点整備や、関連企業の集積が進むとともに、地元企業への浸透を進めている。★
                  • 07) 復興特定プロジェクトとされたものの中でも、発災から10年を経過するまでに実現しなかったものもある。☆
                  • 08) 「エンタープライズ・ゾーン構想」は、巨大災害によって「特殊かつ深刻」な状況に追い込まれた地域を、いかに自律的復興に導くかを試みる提案として象徴的であった。▼
                • 09.震災を契機とした新たな地域文化、市民の取り組みが芽生えつつある。□
                  • 01) 住民自らが納得し満足できるまちづくりを進めようという活動が見られる。□
                  • 02) 生活協同組合コープこうべや神戸市立鷹取中学校の活動事例などから、様々な組織が、普段から地域と一定の関係を築くことの重要性が指摘されている。□
                  • 03) 芸術文化の復興を牽引したアート・エイド・神戸などの活動は、立ち上がりの早さ、柔軟な活動、市民的共感等において高く評価されている。□
                  • 04) 震災の衝撃は、多くの文芸作品として表現され、さらに広く市民を巻き込んだ記録活動に広がった。□
                  • 05) 芸術文化の様々な分野で活動が活発に続けられた。同時に各種のシンポジウムが開催され、支援組織が生まれていった。□
                  • 06) 天然記念物野島断層の保存館が生まれた北淡町では、まったく新しい地域経済と地域文化を招来しつつあるという指摘がある。□
                  • 07) CS神戸(コミュニティ・サポートセンター神戸)などによる草の根型の様々なコミュニティ・ビジネスが、被災地復興において台頭しつつある。□
                  • 08) 震災を風化させず、後世につなげていくために、被災地の各地に様々な慰霊のモニュメントが建立され、これらを巡るイベントが定期的に開催されている。◎
                  • 09) 震災の記録を残し、検証し、また伝えていこうとする活動や、復興に向けて地域で実施されるイベントが活発に行われている。◎
                  • 10) 被災地に防災に関する調査研究、交流機関等が集積し、国際防災協力の一大拠点が形成されようとしている。▲
                  • 11) 震災発生から約7~8年が経過し、直後から始まった様々な復興支援活動が終息しつつある。▲
                  • 12) 震災復興の過程で、企業と地域の新しい関係が育ちつつあるという指摘がある。★
                  • 13) 被災企業のグループによる新たな金融手法として「神戸コミュニティ・クレジット」といった全国初の取り組みなど、新しい取り組みが生まれてきている。★
                  • 14) 復興特定プロジェクトとされたヘルスケアパーク構想は、人と未来防災センターの中で一体的に整備された。☆
                  • 15) 復興特定プロジェクトとされた記念事業の各プロジェクトは、徐々に実現が図られている。☆
                  • 16) 地震発生から5年目に続き、10年を前に兵庫県、神戸市等が復興検証作業に取り組んだ。☆
                  • 17) 震災で市民自らが「公」の一部を担ったことが、国のNPO法の制定を引き出すなど、成熟社会にふさわしい、新たな「市民セクター」を生み出し、定着させていく機会になった。▼
                  • 18) 駆けつけたボランティアのなかから被災地に残り、震災後の復興の段階に応じて、その活動の力点を変えながら、より深くより広く問題にかかわり続けることとなった個人があった。▼
                  • 19) 震災を契機に、NPOに対して資金面の大きな支援が得られるようになった。▼
                  • 20) 被災経験は被災地域の特性であり、これを伝え、活かしていく産業の育成が被災地の責務であるとの指摘がされている。●
                  • 21) 震災10年となる2005年1月17日には、各地で過去最大規模の追悼行事が行われた。●
                • 10.被災地産業の本格復興に向けて、継続して多様な支援施策が実施されている。◎
                  • 01) 「産業復興3ヶ年計画」の計画期間満了に近づいても厳しい復興格差の状況が見られた中、阪神・淡路復興対策本部事務局が設けた「産業復興実務者会議」での検討に基づいて、兵庫県・神戸市は97年10月に「産業復興支援充実策」を取りまとめた。◎
                  • 02) 98年3月末、兵庫県は震災後3ヶ年の取り組みと成果を検証し、今後の取り組みの指針として「阪神・淡路震災復興計画推進方策」を取りまとめた。◎
                  • 03) 商業基盤の整備に対する支援施策として、民活法の特例措置が行われた。また、日本開発銀行(当時)において、新たに低利の災害復旧融資制度が創設された。◎
                  • 04) 阪神・淡路産業復興推進機構の役割が評価されている一方、さらに早期に即効性のある取り組みを行うべきだった、廃止された10年以降の支援が望まれる等の意見もある。●

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