阪神・淡路大震災教訓情報資料集【01】避難行動

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  • 1.第1期・初動対応(初動72時間を中心として)
    • 1-03.被災者行動
      • 【01】避難行動
        • 01.被災地域の約5割の住民が避難行動を起こし、大半が近隣の学校施設に避難した。
          • 01) 住宅が全半壊したほか、余震等による二次災害の危険等もあったため、被災地域内の住民の約半数が自宅を離れて避難した。
          • 02) 避難者の多くは、近隣の小中学校、高校等の学校施設など、公共施設へ避難した。
          • 03) どこに避難したら良いのかわからず、安全そうな公共の場所が避難先に選ばれた。消防・警察などが避難先を指示した例もある。
          • 04) 避難圏の広さは、概ね小学校区程度の広さであるが、施設の種類によって異なる。★
          • 05) 地震発生当日、夕方から夜にかけて避難者数が増加していった。★
        • 02.火災接近や建物倒壊危険のために再避難を余儀なくされた避難所などもあり、避難途上で火災に遭遇した例もあった。
          • 01) 避難所周辺の火災や建物倒壊の危険によって、再避難を余儀なくされた避難所等もあった。この際、教職員や避難者有志が、弱者の避難を支援した例もみられた。
          • 02) 病院の入院患者が近隣の人々の協力の下に避難した事例もあった。
          • 03) 避難途上で火災に遭遇し、行く手を遮られるというケースもあった。
          • 04) 一時避難場所、緊急医療活動の拠点として利用された公園や小中学校は、火災に備えた構造になっていなかった。●
        • 03.避難者が多かったため、指定避難所以外の施設・公園等も避難所となった。防災関係機関の施設へ避難者が殺到したため、応急活動が妨げられたところもあった。
          • 01) 学校以外でも、発災直後から多数の避難者が集まったため、避難所として開放することになった公的施設も数多くあった。避難者が多く、急遽別の施設を開放して避難者を誘導したところもある。民間施設でも、自主的に、スペースを開放したところもあった。
          • 02) 直接避難所に来るのではなく、自宅近隣の公園や小規模施設など、自然発生的に一次避難所(数時間から数日で解消)とした人々もいた。
          • 03) 災害対応の拠点となる防災関係機関の諸施設やヘリポートへも避難者が殺到したため、円滑な応急対策活動が妨げられたところもあった。
        • 04.避難所への移動手段としては、自動車の利用も多かった。
          • 01) 避難所への移動には、徒歩のほか、自動車を用いた避難者も多かった。
          • 02) 学校等のグランドが自動車で占拠されたが、一方で、教室に入りきれない人が自動車内に寝泊まりした例もあった。
            • 05.遠隔地に避難する途中で避難所に宿泊する人もいたため、中間地域の避難所に他市の被災者が来ることもあり、他市の情報収集も必要だった。
              • 01) 尼崎市では、神戸・芦屋方面からの遠距離避難者を受け入れた避難所もあった。
              • 02) 他市の被災者のいる避難所に対しては、他市に関する情報を提供する必要もあり、その情報収集が困難だった。

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