特集 阪神・淡路大震災から30年〜教訓の伝承と防災まちづくり〜



神戸市長田区のJR新長田駅付近の被害(写真提供:神戸市)

神戸市長田区のJR新長田駅付近の被害(写真提供:神戸市)

 平成7年(1995年)1月17日5時46分、淡路島北部を震源とするM7.3の平成7年兵庫県南部地震が発生しました。この地震を発端とする一連の災害が阪神・淡路大震災です。観測史上初めて震度7を記録したこの地震は、神戸市を中心とした人口が密集する都市の直下で発生したこともあり、死者・行方不明者数は6,437名、家屋の全壊が約10万5,000棟、半壊が約14万4,000棟、直接被害額約10兆円という大災害となりました。

 本特集では、発災から30年が経過した阪神・淡路大震災について、発災当時やその復興を振り返り、震災の記憶や教訓が現在のまちづくりや防災対策にどのように生かされているのか、また、震災を知らない世代が増えている中、震災の記憶を風化させることなく伝承するための取組について紹介します。

多様な被害とその対応

 阪神・淡路大震災の被害は、多岐に渡りました。多くの住宅が倒壊したことに加え、本来対応に当たるべき行政機関や公共建物が被災したほか、鉄筋コンクリート製のビルの中間階の崩壊が多数発生しました。

 交通インフラの被害も甚大でした。鉄道や道路は、あちこちで寸断され、緊急自動車や救援物資の輸送を妨げることになりました。とりわけ、阪神高速道路の高架橋倒壊は、社会に大きな衝撃を与えました。また、多くの港湾が液状化等により、使用が不可能になりました。

神戸市東灘区深江本町の阪神高速道路倒壊現場(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

神戸市東灘区深江本町の阪神高速道路倒壊現場(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

駅舎が倒壊した神戸市灘区のJR六甲道駅(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

駅舎が倒壊した神戸市灘区のJR六甲道駅(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

高架が倒壊した神戸市灘区の国道43号線岩屋交差点付近(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

高架が倒壊した神戸市灘区の国道43号線岩屋交差点付近(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

 また、地震発生直後から、火災が同時多発的に発生し、木造家屋が密集していた神戸市長田区では、延焼により大規模火災となりました。電気、ガス等のライフラインも機能不全となり、中でも水道の寸断は、消火活動にも影響を与えることになりました。

 土砂災害による被害も発生しました。兵庫県西宮市の仁川百合野町の住宅地で発生した地すべりでは、34人が犠牲になっています。

 気象庁の調査により震度7とされた地域は、淡路島の北淡町等のほか、神戸市須磨区から西宮市にかけて、六甲山地南麓の狭い地域に東西に帯状に続いており、「震災の帯」と呼ばれました。この震災の帯は、地盤が軟弱な低地に集中しており、ビルの破壊が見られたのも主としてこのエリアでした。

ポートアイランドをつなぐ神戸市中央区の神戸大橋付近の液状化被害(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

ポートアイランドをつなぐ神戸市中央区の神戸大橋付近の液状化被害(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

火災が発生した神戸市長田区の大正筋商店街(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

火災が発生した神戸市長田区の大正筋商店街(写真提供:神戸市)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

地すべりが住宅地を襲った西宮市仁川百合野地区(出典:にしのみやデジタルアーカイブ)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

地すべりが住宅地を襲った西宮市仁川百合野地区(出典:にしのみやデジタルアーカイブ)と現在(令和7年(2025年)1月撮影)

 被災者の数が多く、避難所が足りないという問題も生じました。神戸市では、避難所が最大で599ヶ所稼働し、避難者は最大23万6,636人にも達しました。対応に当たる自治体職員自身も多くが被災者となったことで、避難所の運営も困難な状況となり、人口が集中する大都市での災害対応の難しさが表面化しました。

 産業や経済も大きな打撃を受けました。神戸市には、鉄鋼業や造船業等、多くの大企業の事業所がありますが、そのほとんどが被災し、生産ラインがストップしました。神戸の地場産業でもある清酒業や生活を支える小売業も大きな被害を受け、兵庫県下の直接被害総額は約10兆円というとてつもない規模となりました。

日本の防災を変えた震災

 阪神・淡路大震災は、その後の日本の防災にも大きな影響を与えることになりました。平成7年には「建築物の耐震改修の促進に関する法律」(耐震改修促進法)が制定され、多くの人が利用する特定建築物について、耐震診断や耐震補強工事等の改修が努力義務となりました。また、震災で多くの道路・鉄道・港湾が被害を受けたことを踏まえて、公共土木施設の検査や、首都圏の高速道路や東海道新幹線の高架橋等の耐震補強工事も実施されました。

 インフラ関連では、交通網の寸断により救援や物資輸送がままならなかった教訓から、地震直後から発生する緊急輸送を円滑に行うための「緊急輸送道路」の制度がつくられました。また、水道管・ガス管の耐震管への置き換えが進んだのもこの震災がきっかけでした。

 気象庁が発表する震度階級が、従来の8段階から現行の10段階に変更され、震度5・6が、それぞれ5弱・5強、6弱・6強に分けられたのも阪神・淡路大震災がきっかけでした。同時に、従来行われていた体感による震度観測を廃止して、全て地震計による客観的な観測に変更されました。

 阪神・淡路大震災の人的被害は、「圧死・窒息死」が大半を占めました。多くは住宅の倒壊によるものですが、家具の転倒によるケースもあり、この震災をきっかけに「家具の固定」が推奨されるようになりました。

 公助が困難な中、自助・共助の重要性が認識されるようになったのもこの震災からでした。阪神・淡路大震災では、倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が家族や近所の住民等によって救出されたという調査結果があります。行政機能が麻痺する中で、自助や共助で多くの人が助かっていることは、今後の大規模災害に向けて大きな教訓であるといえます。

 阪神・淡路大震災では、多くのボランティアが被災地に駆けつけ、救援・復旧に貢献しました。ボランティアの経験がない学生や社会人も多く参加し、行政を補完する重要な役割を果たしたことから、以降の災害でもボランティアの存在は欠かせないものになっていきます。こうしたことから、平成7年は「ボランティア元年」とも言われています。

震災の教訓を生かした防災まちづくり

 兵庫県は、同年7月に阪神・淡路震災復興計画を異例のスピードで策定しました。その内容も、単に震災前の状態に戻すのではなく、未来を創造する「創造的復興」を目指すものでした。創造的復興の考え方は、その後の様々な災害に引き継がれていきます。

 神戸市では、地震から約1か月後の2月15日からは、仮設住宅への入居が始まり、8月には、全仮設住宅3万2,000戸が完成しました。住宅を失った被災者は、避難所から仮設住宅、そしてその後復興住宅へと転居を重ねる中、被災高齢者の孤立が大きな課題となりました。こうした問題を受けて、兵庫県と神戸市は、地域の見守り活動を行う人員の派遣や、生活援助員を配置した公営住宅シルバーハウジングを供給する等、地域における高齢者の生活支援、孤独死防止と新しいコミュニティづくり支援に取り組みました。

 道路や港湾等の都市基盤は2~3年で、市民生活のハード的な基盤整備も震災から5年目までで概ね完了しました。

 神戸市で倒壊や火災の被害が甚大だったのは、主として、戦災を免れたことで面的市街地整備が行われていない地区でした。こうした地区は、住宅が密集しており、単なる復旧ではなく、災害に強いまちづくりを推進する必要があったことから、被害状況調査や県・国との協議等がスピード感を持って進められました。

 3月には、土地区画整理事業と市街地再開発事業の都市計画決定がされ、土地区画整理事業については、平成23年に完了、市街地再開発事業についても、最後に残っていた新長田駅南地区の事業が、令和5年11月に完了しました。

 一方で、市内には、まだ密集市街地が残っている地区があり、密集市街地建物除却事業や密集市街地まちなか防災空地事業等、各地区の特性に合わせた施策を行っています。

 阪神・淡路大震災の際には、水道が寸断され、復旧に10週間を要した地域がありました。飲み水はもとより、消火栓が使えなかったことから、発災直後の火災の消火活動にも影響を及ぼしました。こうした教訓を踏まえて、神戸市では20年かけて市街の地下に高い耐震性能と大きな貯留機能を備えた大容量送水管を整備しました。また、貯水機能を有する62ヶ所の災害時給水拠点や大容量貯水槽を設け、災害時の応急給水を可能にする等の対策を施しています。

防災福祉コミュニティの立ち上げと防災教育

 震災当時は避難所の不足、避難所運営の担い手やノウハウの不足、高齢者等災害時要援護者への対応といった課題も表面化しました。そこで、神戸市では地域の自助・共助の要となる自主防災組織「防災福祉コミュニティ」が立ち上がり、2025年1月現在市内192地区(概ね小学校区単位)で運営されています。

 防災福祉コミュニティは、平時から防災活動と福祉活動を行い、万が一の場合は、避難所運営の母体としての役割も果たします。防災だけでなく、日頃から福祉活動でつながっているので、避難所で災害時要援護者対応を支えることができるという仕組みです。

 また、神戸市では、幼稚園、小・中学校において、年間を通じて独自の副教材を用いた防災教育を実施しています。兵庫県舞子高校には、全国で初めて環境防災科が設置されたほか、神戸学院大学にも社会防災学科が設けられており、阪神・淡路大震災をきっかけに防災を学べる仕組みが整いつつあります。その一方で、震災から30年を経たことから、震災を経験していない教員も増えており、記憶や教訓の伝承が新たな課題になっています。

 こうした中、神戸市では、震災後に生まれた神戸の10代・20代の若者たちが、震災の経験・教訓や災害への備えについて学び考え、未来へつなぐための「RE KOBE」と呼ばれる活動に取り組んできました。この取組は、2025年3月末で一旦一区切りとなる予定ですが、震災からの復興や、防災・減災活動に取り組む神戸の人や団体への取材や、震災30年市民フォーラムの企画や運営を通じて、当時の経験や教訓を、震災を経験していない若者の目線で同世代に伝えてきました。

 30年を経て、震災の記憶や教訓は次の世代へと受け継がれつつあります。

震災の記憶を継承する

 阪神・淡路大震災の被災地には、教訓や学びを伝承するさまざまな施設があります。

 神戸市の「人と防災未来センター」は、阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ、その経験と教訓を後世に伝え、これからの備えを学ぶ防災学習施設として平成14年(2002年)に設けられた施設です。震災を追体験できる「1.17シアター」や震災直後の街の様子を再現した原寸大のジオラマ通路をはじめとしたリアリティのある展示で震災の記憶を伝えます。またセンターには調査研究機関としての役割も担っており、防災・減災の世界的拠点としても位置づけられています。

 神戸港のメリケンパークの一角には、「神戸港震災メモリアルパーク」が設けられています。震災の教訓と港の重要性を後世に伝えることを目的に、メリケン波止場の岸壁部分が、約60メートルに渡って、震災当時のまま保存され、併せて、神戸港が受けた被害や復興の過程も紹介されています。

メリケンパークの一角にある神戸港震災メモリアルパーク(令和7年(2025年)1月撮影)

メリケンパークの一角にある神戸港震災メモリアルパーク(令和7年(2025年)1月撮影)

 震災時に地すべりにより大きな被害を受けた西宮市の仁川百合野にがわゆりの地区には、「仁川百合野町地区地すべり資料館」が設置されています。震災時の地すべりの概要や被災後から復旧までの記録、土砂災害のメカニズムや対策等を、シアターやタッチパネル展示等で学ぶことができます。

 淡路島の北淡町にある「野島断層保存館」では、兵庫県南部地震で出現した野島断層がありのままに保存されています。断層の断面を間近で見ることができるほか、活断層の真横にありながらほとんど壊れなかった家をメモリアルハウスとして公開しており、家の塀や花壇の煉瓦がずれた様子が残されているほか、被災した台所も再現されています。

淡路島の北淡町の野島断層保存館で保存されている野島断層(令和7年(2025年)1月撮影)

淡路島の北淡町の野島断層保存館で保存されている野島断層(令和7年(2025年)1月撮影)

 被災地には、多くの災害伝承碑、慰霊碑、モニュメント等が残されています。その中には、神戸港メリケンパークにある阪神・淡路大震災から20年をきっかけに生まれたシビックプライド・メッセージである「BE KOBE」モニュメントのように、観光客の撮影スポットになっているものもあります。

メリケンパークにある「BE KOBE」モニュメント(令和7年(2025年)1月撮影)

メリケンパークにある「BE KOBE」モニュメント(令和7年(2025年)1月撮影)

 また、神戸市では震災犠牲者の鎮魂・追悼と震災の記憶を後世に継承することを目的に、復興の灯として、平成7年からイルミネーションイベント「神戸ルミナリエ」を開催しており(コロナ期間は中断)、現在では、神戸の冬の風物詩の一つになっています。

 復興した街の様々な場所に震災の記憶と教訓が残されているのです。

<参考文献>(五十音順)
地震調査研究推進本部, 2022,「阪神・淡路大震災から15周年を迎えて」.
  https://www.jishin.go.jp/resource/column/2010_1001_01/
内閣府, 2001,『阪神・淡路大震災教訓情報資料集』.
  https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/hanshin_awaji/
神戸市, 2022,「神戸の近現代史」.
  https://www.city.kobe.lg.jp/culture/modern_history/index.html
内閣府, 2014,『平成26年版防災白書』.
  https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h26/honbun/0b_2s_01_00.html
会計検査院, 1995,『平成6年度決算検査報告』.
  https://report.jbaudit.go.jp/org/h06/1994-h06-0415-0.htm
兵庫県, 2015,『ひょうご震災20年ボランタリー活動検証報告書』.
  https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk12/kensyouhoukokusyo/kensyouhoukokusyo.html
神戸市水道局, 2025,「災害に備えるための整備」.
  https://kobe-wb.jp/seibi/
神戸市, 2023,「防災福祉コミュニティとは」.
  https://www.city.kobe.lg.jp/documents/54168/kobe-disaster-prevention-leader-text-chapter2.pdf
神戸市, 2025,「RE KOBE:震災を知らない私たちが未来へつなぐ」.
  https://www.city.kobe.lg.jp/a70034/rekobeforum.html
長谷川直子・鈴木康弘, 2023,『今こそ学ぼう地理の基本 防災編』山川出版社.

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