平成26年版 防災白書|特集 第2章 1 大規模広域災害時の自助・共助の例


第2章 「公助の限界」と自助・共助による「ソフトパワー」の重要性

阪神・淡路大震災や東日本大震災のような大規模広域災害時の「公助の限界」が明らかになるとともに、自助・共助による「ソフトパワー」が重要なものとなっている。

また、国民の意識の中でも、「公助に重点を置くべき」という回答が減少し、「自助、共助、公助のバランスを取るべき」という回答が増加した。

1 大規模広域災害時の自助・共助の例

6,400人以上の死者・行方不明者を出した平成7年1月の阪神・淡路大震災では、地震によって倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が、家族や近所の住民等によって救出されており、消防、警察及び自衛隊によって救出された者は約2割であるという調査結果がある(図表1)。

また、別の調査では、自力で脱出したり、家族、友人、隣人等によって救出された割合が約9割を超えており、救助隊によって救助されたのは1.7%であるという調査結果もある(図表2)。

図表1 阪神・淡路大震災における救助の主体と救出者数図表1 阪神・淡路大震災における救助の主体と救出者数
図表2 阪神・淡路大震災における生き埋めや閉じ込められた際の救助主体等図表2 阪神・淡路大震災における生き埋めや閉じ込められた際の救助主体等

これは、地震によって倒壊した建物に閉じ込められた人の救助と地震によって発生した火災の消火活動を行政が同時に行う必要があったため、行政機能が麻痺してしまい、行政が被災者を十分に支援できなかったこともあり、自助・共助による救出率が高くなっている。倒壊した建物に閉じ込められた人の救出は、一刻を争うが、一方で、大規模広域災害時には、全ての倒壊現場に行政の救助隊が速やかに到着することが難しい。そこで、このような状況を前提として自助・共助の強化を図るべきであるといわれるようになった。


さらに、1万8,500人以上の死者・行方不明者を出した平成23年3月の東日本大震災でも、岩手県大槌町のように町長をはじめ町の多くの幹部や職員が津波によって死亡する等本来被災者を支援すべき行政自身も大きな被害を受けた。

このように、行政が被災してしまい、被災者を支援することができなかったため、自助・共助による活動に注目が集まった。

例えば、岩手県釜石市内の児童が、自発的に避難したり、また、地域の住民とともに避難活動を行ったように、地域コミュニティが一緒になって避難をしたり、避難所の運営をするような様々な自助・共助の事例が見られた。



「釜石の出来事」について

釜石市は、昭和三陸地震(昭和8年)やチリ地震(昭和35年)等の津波で大きな被害を受けた経験があった。

そのため、同市では、「津波てんでんこ」(「てんでんこ」とは各自の意味。海岸で大きな揺れを感じたときは、肉親にもかまわず、各自一刻も早く高台に避難し、津波から自分の命を守れという意味である。)とよばれる自分の命を守ることの重要性や津波の恐ろしさを伝える防災教育を実施してきたほか、「想定を信じるな」、「最善を尽くせ」、「率先避難者たれ」という「津波避難の3原則」を強く訴えてきた。

こうした教えによって、例えば、全校児童の9割以上が下校していた釜石小学校では、児童全員が無事に避難することができた。さらに、児童の中には、自宅にいた祖母を介助しながら避難を行ったり、津波の勢いの強さを見て、避難してきたまわりの人々とともに、指定避難所よりもさらに高台へ避難したりする例がみられた。

このように、積み重ねられてきた防災教育が実を結び、「津波避難の3原則」がいかされ、釜石市の小中学生のほとんどが津波から避難をして助かることができた(ただし、下校後等で学校にいなかった小中学生5人が犠牲となり、また、学校事務職員1人が行方不明のままである。)。また、このような小中学生の行動の影響を受けて、地域コミュニティの人々の中にも一緒に避難をして助かる人がみられた。


被災地における共助について

内閣府は、平成26年2月~4月に東日本大震災の被災地において共助による支援活動に関するヒアリング調査を実施した。


【調査概要】

<1>調査名   東日本大震災における共助による支援活動に関するヒアリング調査

<2>調査方法  ヒアリング調査

<3>調査対象者 18名(仙台市、大船渡市、気仙沼市で被災経験のある30~80代の男女)

<4>実施期間  平成26年2月~4月


同調査では、被災地や被災者ごとに状況は異なるものの、市町村や自衛隊等による公助のほか、地域コミュニティにおける助け合いによる共助が、被災者の生活の維持に特に大きな役割を果たしていることがわかった。

そして、ヒアリングの中では、「<1>共助によって倒壊した自宅から救出された事例」、「<2>共助によって助け合って避難を行った事例」、「<3>共助によって助け合って避難所の運営を行った事例」、「<4>共助によって隣近所の住民が助け合って在宅避難を行った事例」等がみられた。


<1>共助によって倒壊した自宅から救出された事例

大船渡市のAさん(60代女性)は、海岸で仕事中に津波を目視し、高台にあった自宅の2階に避難した。しかし、津波によって自宅が100m近く流され、倒壊した自宅に閉じ込められた。たまたま、自宅が流れ着いた場所が、地域コミュニティの住民が集まっている場所だったため、多くの住民が2時間以上救出活動に参加してくれて、なんとか救出されることができた。


<2>共助によって助け合って避難を行った事例

大船渡市のBさん(60代女性)の場合は、発災時に自宅にいたが、地域コミュニティの住民が津波を目視し、放送等が聞こえない中で、大声でコミュニティの仲間に警告してくれた。それがきっかけとなって近隣の住民が協力しあって避難をすることができた。


<3>共助によって助け合って避難所の運営を行った事例

気仙沼市のCさん(60代男性)は、発災時に自宅にいたが、携帯しているラジオで津波がくることを知って、家族で近隣の避難所に避難した。そこでは、自らリーダーとなって地域コミュニティの被災者たちの調整を行い、被災者をまとめて皆で掃除、消毒等を積極的に行う等助け合って避難所の運営を行った。


<4>共助によって隣近所の住民が助け合って在宅避難を行った事例

仙台市のDさん(30代女性)は、発災時は子供を連れて外出中であったが、発災後は在宅避難を行った。そして、町内会の役員による見回り・情報伝達・物資の支給、隣近所からの物資の支援等を受け、マンションでの在宅避難を継続することができた。


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