特集 狩野川台風からの復興



避難者の協力も不可欠

 避難所の生活も、感染対策が徹底されました。トイレやドアノブをはじめとした拭き取り消毒などを頻繁に行うことはもちろん、入所者に対しても消毒やマスク着用、身の回りの整理整頓からロビーなどでのソーシャルディスタンスの確保などを徹底しました。また食事も人が集まりやすいロビーなどではなく、必ず自分たちのスペースに戻って食べてもらうことや、飲酒の原則禁止など、「共同生活」であることを念頭にさまざまなルールを設けて協力を呼びかけました。

 もうひとつの大きな問題が換気でした。隔離性を高めるために空間をパーテーションで仕切ったことで、避難所内は空気が滞留しがちな状態になっていました。そこで避難者が自分のスペースを出る際には必ず仕切りをオープンにする、また中に滞在している場合も1日2回はオープンにするなど空気が入れ替わる環境をつくることもルール化されました。結果として避難所閉鎖(令和2年12月28日)までの長期間にわたり、「感染者ゼロ」を達成しています。

 人吉市ではこの災害から1年後の令和3年7月10日にも、気象庁が大雨特別警報を発表する豪雨に見舞われますが、市も住民も1年前の教訓を生かし、コロナ禍においても迅速な避難と円滑な避難所運営が行われています。

ITツールを活用した実証訓練

 青函トンネルの本州側の入口があることでも知られる青森県東津軽郡今別町は、津軽海峡に面した津軽半島北端に位置しており、日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震の発生やそれに伴う津波による被害、さらに近隣市町村と接続する道路が被害を受けることによる孤立が想定されています。また、近年大きな災害は発生していないものの、豪雨時には山間部の土砂災害や、町内を流れる今別川の浸水想定区域内に約170世帯が居住することから、氾濫による被害も懸念されています。

 同町では約2,500人の人口に対して避難所29カ所、緊急避難場所11カ所を指定しているものの、いずれも大きな施設ではないことから、感染症流行下ではソーシャルディスタンスの確保を考慮した場合の収容人数に課題があるといいます。また避難所内の仕切りや、感染防止対策のための用品の準備などにも限界があります。

 今別町ではこうした状況をITツールの活用で改善する方法を模索しています。令和2年8月31日には、NPO等との協力のもと、さまざまな機器を活用した感染症流行下の避難所の運営訓練を実施しました。

 訓練は町の総合体育館で、住民約80人が参加する形で行われました。避難者は受付でAIを搭載した非接触検温器で検温を受けるとともに、顔認識によりあらかじめ登録してあった町民情報と照合する方法も検証しました。また停電を想定した自動車からの給電を、空中ディスプレイにタッチパネルを映しながら非接触で行うなど、さまざまなIT技術の有効性を確認しました。

 今別町は青森県内の自治体でもっとも高齢化率が高く、顔認証による住民照合を活用することで要援護者情報はもちろん、病歴や服薬の情報などとの連携が可能なことや、避難者・未避難者の把握にも応用できることから、実用に期待がかかります。

青森県今別町で実施された感染症流行下での避難所運営訓練の様子。AIを搭載した非接触検温器で検温とともに顔認識を行い、町民情報と照合する方法も検証した(今別町提供)

青森県今別町で実施された感染症流行下での避難所運営訓練の様子。AIを搭載した非接触検温器で検温とともに顔認識を行い、町民情報と照合する方法も検証した(今別町提供)


令和2年台風10号で避難所が満員になった長崎市のケース

 昭和57年7月23日から24日未明にかけて、長崎市を中心とした地域を集中豪雨が襲い、死者・行方不明者299名を記録する大きな災害となりました。「長崎大水害」と呼ばれるこの災害では、長崎市に隣接する西彼杵郡長与町で23日午後8時までの1時間に187mmの雨量を観測し、現在も残る時間雨量の最高記録となっています。

 長崎市は平坦地が少なく、斜面地にも住宅地が広がる地形的な特徴から、集中豪雨の際は河川の溢水や市街地の冠水に加えて、斜面地の崩壊等で住宅被害を受けやすい都市構造となっています。実際に長崎大水害でも平坦地では浸水被害、斜面地では土砂災害が顕著で、現在の長崎市の防災対策もこの時の教訓をベースに構築されています。

 長崎大水害時の指定避難所への避難者は約3,000人で、以降長崎市では避難者がこれを上回るような状況はしばらく発生していませんでした。ところが令和2年9月に大型で非常に強い台風10号が接近、気象庁が最大級の警戒を呼び掛けたこともあり、長崎大水害時の4倍にあたる1万2,000人を超える避難者が指定避難所に押し寄せることとなりました。

 長崎市には指定避難所が266カ所あるものの、過去の避難者の数等の実績を考慮しつつ、通常は大雨の際などで40~50カ所、台風の接近時で80~100カ所程度と数を絞って開設しており、実際の避難者も多い時で500~600人ほどでした。令和2年台風10号の際には事前の問い合わせも多く寄せられ、工事中の施設等を除いた260カ所の避難所を開設していました。


コロナ禍で不足する避難所

 通常長崎市では避難所を開設する機会が年間5回程度で、多くの場合半日から1日という一時避難的な短期間の開設が主だといいます。令和2年は7月に大雨特別警報が発表された際に77カ所の避難所を開設し、675人の避難者が集まりましたが、同年は7月下旬にも大雨により47カ所の避難所を開設しましたが、避難者は避難所の数を下回る46人にとどまっています。令和元年度には73カ所の避難所を開設して避難者が1人だけということもあり、市の立場としては「市民が避難行動に対して消極的なのでは」という懸念もありました。それだけに令和2年台風10号の際の避難者は想像を超える数だったといいます。

 感染症流行下における避難所は、避難者同士の距離を確保する必要があり、長崎市では1人あたりの避難スペースを従来の2㎡から4㎡と広げて算定しています。その分だけ1カ所の避難所あたりの収容人員が減ってしまうため、施設を追加する必要が生じます。従来は避難所が満員になるようなケースが少なく、そこまで深刻な問題ではなかったものの、令和2年台風10号の避難者数の状況から、避難スペースの確保は避けては通れない課題となりました。

 市では指定避難所への避難ばかりでなく、堅牢建物の上階への垂直避難や、親戚・知人宅や宿泊施設などへの避難も周知していますが、独り暮らしの高齢者など、不安を抱える人も多いことから、指定避難所は一定数確保する必要があります。

 もうひとつ、実際の避難において問題となるのが、特定の避難所への避難の偏りです。住んでいる地域から「自分が行くべき避難所はここ」と決めている人もいれば、設備の関係で「この避難所に行きたい」という人もいます。結果として令和2年台風10号の際には43カ所の避難所が満員となり、市には入りきれなかった避難者から「どこへ行けばいいのか」という問い合わせが相次いだといいます。

長崎市で令和2年台風10号の際に開設された避難所の様子。避難者同士の間隔を確保するため定員が減少している(長崎市提供)

長崎市で令和2年台風10号の際に開設された避難所の様子。避難者同士の間隔を確保するため定員が減少している(長崎市提供)


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