序章 3 防災対策に求められる新たな視点



3 防災対策に求められる新たな視点

(1)経済被害の拡大への対策

a 連鎖的影響を生み出す社会環境

近年,企業の活動については,グローバル化や広域化が進展していることはもとより,多様な顧客ニーズにこたえるための取引関係の複雑化,経営の合理性等を高めるためのアウトソーシング化等が並行的に進展している。このため,企業がひとたび被災してしまった場合の被害は,個別企業の施設・資産等への直接被害や取引機会の喪失等に係る間接被害に留まらず,直接の被害を被っていない他の企業・地域の経済活動にまで連鎖的影響を及ぼすおそれが増大している。こうした影響の地理的範囲も,被災地周辺地域に留まるのではなく,日本全体,ひいては,海外にまで及びかねないものとして懸念されている。

このように経済構造に新たな変化が生じれば,災害に伴う被害の発生・波及形態にも変化が生じることを踏まえ,新たな発生・波及メカニズムを分析し,それに即した有効な措置を講じていく必要がある。効果的な対策を進めていくためには,取引による連鎖関係など昨今の新たな動向まで踏まえる必要があり,これに対応できる内容をもった事業継続計画(BCP)の策定を促進していくことは,単に個別企業のみの利益を超えて,社会全体の経済被害拡大を防止する観点から求められるものである。こうした取組みが,各業界,更には産業界全体の課題として推進されることが期待される。

b 企業における事業継続への取組みの動向

内閣府が行った企業における事業継続計画策定状況に関する調査の結果によれば,企業防災の牽引役となることが期待される大企業でさえ,「事業計画を策定済みである」との回答は18.9%,それに続く企業規模の中堅企業では12.4%となっており,東海地震,東南海・南海地震及び首都直下地震のいずれの地震防災戦略においても掲げている,大企業でほぼ全て,中堅企業において過半という目標には未だ遠く及ばない状況である。

その一方で,「事業継続計画を策定する予定がある」と回答した大企業は29.1%,中堅企業は12.8%に及んでいる。

事業継続計画の策定率向上は,社会全体の経済被害拡大を防止する観点から喫緊の課題になっており,早期の進捗を図っていくためには,こうした層への働き掛けを強めていくことが効果的であると考えられる。

図表17 事業継続計画の策定状況(大企業・中堅企業) 事業継続計画の策定状況(大企業・中堅企業)の図表

c 計画策定に取り組もうとする企業の抱える課題

同調査で,こうした企業が事業継続計画の策定に当たって抱えている問題点や課題として上位に挙げたものを見ると,大きく2つの要因が浮かび上がってくるものと考えられる。

まず,「BCPを策定する人手を確保できない」(48.2%),「BCPに対する現場の意識が低い」(32.6%),「部署間の連携が難しい」(32.5%),「BCPに対する経営層の意識が低い」(18.9%)といった経営層又は組織全体が必ずしも被災の切迫性・影響等を強く意識していないことの表れとみられるものや「BCP策定の費用の確保が難しい」(27.8%),「代替オフィス等の対策費用が高い」(24.3%)といった計画策定に向けた費用配分の模索状態の表れと見られるものが多数挙げられているが,これらは,いずれも経営戦略と密接に関連したヒト・モノ・カネといった経営資源の配分方針に関わるものであって,事業継続計画を策定する予定を持っていながらも,被災の切迫性を経営層が必ずしも強く意識していないことが考えられる。

また,最も多かった「BCP策定に必要なノウハウ・スキルがない」(51.0%)や「バックアップシステムの構築が難しい」(21.2%),「BCPの内容に関する情報が不足している」(19.4%)などに鑑みれば,いずれの企業においても,専門的なノウハウ・スキルに関わる要素が懸案となっていることが窺われる。

図表18 事業継続計画策定時の問題点(「策定する予定がある」と回答した大企業・複数回答) 事業継続計画策定時の問題点(「策定する予定がある」と回答した大企業・複数回答)の図表

d 市場の仕組みに組み込まれた措置の推進

こうした経営層の意識に対応していくためには,被災時への備えとしての側面だけではなく,平常時の経営にも具体的な効果をもたらし,経営戦略の一環に位置づけられうる側面を備えることが必要であると考えられる。特に,経済活動が展開される市場での企業評価に反映されることが,経営層の意識に直接的に訴えかけ,具体的な行動を引き出すことにつながりうるものと考えられる。

このため,例えば融資や格付け等に際して有利に機能するといった経営層の動機付けとなりうる市場評価の向上を図ることや,会員企業相互間の活発かつ継続的な意見交換の場である業界団体等と協働し,所属業種の特性に合致した取組みを経営層に直接働き掛けていくことなど企業本来の経済活動に適い,市場の仕組みの中に自ずと組み込まれていくような取組みを促していくことが重要である。

e 専門的なノウハウ・スキルに関わる実践的な環境整備

また,専門的なノウハウ・スキルに関わる課題については,組織内における,内部人材の育成,対応する組織体制の構築等や,組織外まで視野に入れた,行政機関・民間事業者等による策定支援,情報提供体制の充実等も求めているものと考えられる。

今後の事業継続計画の普及に際しては,経営層の意識に係る課題と並んで,こうした人材育成や情報提供の分野での課題に対処することも重要であり,計画策定主体が,業種業態に応じた専門的な助言・指導が行える人材と容易に確保しうる仕組み等の専門的なノウハウ・スキルに関わる実践的な環境整備が必要である。

f 事業継続計画の策定と並んで重要となる財務上の手当て

被災時には,各企業においても当座の運転資金を含めた資金需要が急増し,財務上の手当てが企業の帰趨を決することにもなりかねない。こうした財務上の手当ては,事業継続計画の構成要素の一つとしても位置づけられるものであるが,当該計画策定の如何に関わらず,企業の存立や復旧・復興の前提として不可欠なものである。

特に大規模災害時には,被災規模次第で個々の企業が必要とするだけの資金量を必要な時期に十分手当てしきれない事態も懸念されることから,事業継続計画の策定と並んで,こうした事態にも対処できるだけの財務上の備えを図っていくことは,忘れてはならない課題であり,今後検討を深めていく必要がある。

(2)人々の安心を確保する災害情報の提供のあり方

高度情報化社会では,発達した情報メディアを効果的に活用することにより,高い災害対策の効果を挙げることができる一方で,その対応を誤ると,逆に社会の不安を増幅し,経済的な被害の拡大を招くことにもなりかねない。

このため,災害時においては,人々の安全が確保されることは当然のこととして,更に人々がそのことについて安心を感じることができるように災害情報が提供されなければならない。

このことが顕著に現れたのが,平成19年に発生した新潟県中越沖地震において被災した東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所のケースであった。

同発電所は,震央から16kmの距離にあり,新潟県中越沖地震が発生した際には,運転中の原子炉は安全に停止した一方で,屋外に設置されていた変圧器での火災発生や,極めて微量の放射性物質を含んだ水が海中へ放出されるなどの事象が発生した。

これらの事象は,人体の健康に影響のないレベルの放射能漏れや,原子炉本体の安全性に直接影響がない変圧器の火災であったが,事業者が行う初期消火活動や,放射性物質の漏えいに関する報告等に時間を要したほか,国及び事業者において地元自治体への情報連絡や周辺住民等への安全・安心情報の提供が迅速かつ的確に行われなかったという事態が生じたことも,周辺住民のみならず広く不安を拡大させる一因となった。

災害時における原子力施設及びその周辺の安全性や避難の必要性といった安全・安心のための情報は,地元住民にとどまらず,国民全体や諸外国にとっても重要なものであり,本件で得られた教訓を契機に原子力安全・保安院において設置された委員会の報告書において述べられているように,今回の事例において安全・安心のための情報の迅速かつ的確な提供が行われなかったことは,大きな課題として残った。

更に,このような人々の不安の拡大は,具体的な形で地元経済にも影響を与えることとなった。例えば,新潟県における海水浴客の入込状況を見ると,前年度,前々年度に比べて大きな落ち込みを見せているが,その背景には,余震に対する不安の他に,柏崎原子力発電所の被災に関する人々の不安があったことが指摘されており,観光客の減少という形で地元経済に影響が及んだ状況がみられる。

このように,災害時においては,人々の安全を確保することは当然のこととして,更にそれに加え,人々がそのことに安心を持ちえるような災害情報の提供を行うことが,人々の不安の拡大により地元経済に被害を与えることを防止するためにも重要である。

その場合の視点としては,

・正確な情報を迅速に,プレスはもとよりホームページ等の多様なメディアを通じて住民や国民に直接提供する取組みを強化すること,

・情報を国民に分かりやすい形で提供する工夫を強化すること,

など,安全・安心情報が迅速かつ的確に国民や諸外国に広まるような効果的なコミュニケーションの実を挙げることを目指すべきである。

図表19 新潟県の海水浴客の入込総数の状況 新潟県の海水浴客の入込総数の状況の図表
(3)気候変動への適応策としての防災に関する取組み

昭和53年から平成19年までの30年間(1978−2007年)を振り返ると,ここ10年間の気象には,短時間に激しく降る大雨の発生回数が明らかに多いなど,異常なもの見られ,毎年のように台風,熱帯低気圧,梅雨前線などに伴う豪雨災害が頻発している。「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は平成19年の第4次評価報告書において,地球の気候システムに温暖化が起きているとほぼ断定し,地球温暖化の進行に伴って大雨が頻繁になり,熱帯低気圧が強くなると予測している。

こうした中で,気候変動による豪雨や台風の強度の一層の増大,海面水位の上昇などにより,過去の統計や経験が通用しなくなる事態が生じることも想定されており,過去の気候を踏まえた防災体制等を整えてきた各地域においては,水害や土砂災害,高潮災害等の頻度や規模の増大による被害の発生がより一層増加すると懸念されている。このため,水害や土砂災害,高潮災害等に備えた防災・減災対策について,気候変動への対応の視点を踏まえて,従来の枠組みを超えた発想による対応が求められている。

我が国においては,国土交通省において,気候変動に適応した治水対策や気候変動に対する港湾政策について検討を開始しており,また環境省においても地球温暖化影響・適応研究委員会を設置して,我が国における将来の影響や脆弱性の評価,適応策の基本的な考え方を整理し,今後の影響・適応研究の具体的な方向性を検討しているなど,気候変動への適応の検討や研究の取組みが始まっている。

一方,諸外国の先進的な事例を見ると,英国やオランダでは気候変動の影響を組み入れた治水対策等が既に始められており,欧州連合(EU)全体としても取組みが始まっている。特に英国においては,治水事業評価や土地利用計画策定に当たって,気候変動とそれに伴う洪水リスクの影響を考慮するための手法を盛り込んだガイドラインが2006年に策定されており,現在,各地域で洪水リスクアセスメント等が行われ,その結果が土地利用計画や社会資本整備等に反映されようとしている。

我が国においても,気候変動に伴い激化する水害・土砂災害・高潮災害などの水関連災害から国民の命を守るため,従来の枠組みを超え,我が国の英知や持てる力を総合的に組み合わせて,防災基盤の整備を長期的な視点で立案し,確実に実施していく必要がある。そのためには,堤防やダム等の施設の整備を着実に進めるとともに,施設能力を超える外力に対して,流域における土地利用のあり方や危機管理対応,早期警戒や訓練の強化など,ハードとソフトを効果的に組み合わせた適応策を関係省庁が連携して検討していく必要がある。特に,将来的な気候変動の影響も見据えて国民の命を守るという観点から,深く水没し,命への危険が大きくなる場所や,広く水没し,孤立した人への二次的被害の懸念も大きい場所での危機管理対応策等の検討を進めていく必要がある。

こうした対策に加え,このような新たな観点からの災害対策を実施していくためには,国と地方,地域コミュニティとの効果的な連携・協働や,官と民の協力・役割分担など,災害対策の総合性を更に強化していくことが必要である。

図表20 1時間降水量50mm以上の降水の発生回数 1時間降水量50mm以上の降水の発生回数の図表
図表21 諸外国等の先進事例 諸外国等の先進事例の図表

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