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※「国土庁防災局」は、2001年より、「内閣府(防災部門)」になりました。
カリフォルニア津波プログラムについて
 
リチャード K. アイスナー
米国建築家協会特別会員(FAIA:Fellow of the American Institute of Architects)
カリフォルニア州知事緊急対策室 地域管理官
 

要約
 1992年のフンボルト(Humboldt)地震と津波の後、カリフォルニアは、沿岸地域の地震とその結果 起きる津波による氾濫のどちらにも、極めて弱いことが明らかになった。連邦緊急事態管理庁(FEMA)より最初の財政支援を受け、カリフォルニアは北部沿岸一帯の地震と津波の影響を総合するシナリオを作成した。シナリオには、初動対応計画および地域住民の意識と啓蒙のための基礎が定められた。

 氾濫地図の作成に対する財政支援、沿岸地域住民のための対応計画指針に関する研究開発、および地域住民による支援団体を作るための、備えと対応、ならびに被害軽減に役立つ訓練用ワークショップを通 じた全米津波災害軽減計画(the National Tsunami Hazard Mitigation Program)よりの支援を受け、カリフォルニアにおける活動は高まった。ワークショップおよび地域住民の啓蒙を通 じ官民の意識を高め、連絡方法の向上を図り、国家気象サービス(NWS:the National Weather Service)の警報伝達気象専門家(Warning Communication Meteorologists)が地方自治体との研修活動に参加できるよう支援することなどが、カリフォルニアの取り組みの内容であった。津波の連絡方法も、カリフォルニア標準緊急事態管理制度(California"s Standardized Emergency Management System)のなかに統合された。

 本誌では、カリフォルニア州における津波への対応と被害軽減活動の実施を支援するため、州と現地の諸自治体による支援団体が形成される過程を詳細に記録しておきたい。そこにはまた、カリフォルニアの計画の結果 を契機として開始された、地域と連邦政府の活動にも触れておきたい。

 

序論
 カリフォルニアの津波による被害の軽減とそれに備えた計画の確立は、脅威に対する意識を身に付け、緊急事態において仲間意識を形成し、津波の発生による重大な衝撃を行政面 で明確にし、さらに沿岸地域の住民が対応できるように、備えと危険軽減のための専門能力と知識を向上していく発展的な過程であった。

 カリフォルニアの沿岸に対する津波の脅威について過去に書かれたものは、ごく初期の西洋人による入植にまで及んでいるが、脅威に対する一般 の理解としては大したことはないと思われていた。(アメリカ先住民の口伝に関する最近の研究により、この一連の乏しい情報に対し、津波の可能性について新たなデータが付け加えられた。)1940年代から1950年代にかけて、沿岸の住民の経験では津波による波高の変化はさほどでもなかったが、1964年の聖金曜日アラスカ地震(Good Friday Alaskan earthquake)と津波は現代でカリフォルニア沿岸を見舞った最初の大発生であった。クレセント・シティ(Crescent City)がその発生により甚大な被害を受けた後でも、カリフォルニアのそれ以外の地域ではどこも津波は依然として大きな脅威としては受けとめられていなかった。

 全米洪水保険計画(NFIP:the National Flood Insurance Program)の一部として、政府が1970年代に製作した沿岸洪水地図のなかに含まれていた、カルフォルニアに対する危険に関する最初の詳細な調査では、太平洋をまたぐ波浪によって氾濫が引き起こされる可能性が想定されていた。管轄の行政側では津波の危険について、一時的に気には留めてもそれ以上の関心を抱く者はほとんどいなかった。例外は、クレセント・シティとデル・ノルテ郡(Del Norte County)とサン・マテオ郡(San Mateo County)で、皆が氾濫と被害および人命の喪失を直接体験したものばかりであった。

 

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