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1. イントロダクション−日本の津波予報業務の歴史 気象庁の津波予報は1952年に開始された。各観測地点で職員が読み取ったP波とS波の到達時刻が電話または電報で気象庁本庁に送られ、気象庁本庁において、地図、チャート、鉛筆、コンパス、定規およびある種の計算機を使う手作業で震源と規模(マグニチュード)を決定、その後に、本庁の職員が"津波予報図"により津波発生の有無を判断した。この津波予報作業には平均して17分を要した(これには住民や災害対策機関へ通 知するために情報を作成するのに要する時間は含まれていない)。
1980年からは、コンピュータ化された通信システムである気象資料伝送網(L−ADESS:Local Automated Data Editing and Switching System)が導入されて、地震験測データの迅速な収集が可能となり、津波予報に要する時間は約14分に短縮された。この改善には、記録読み取り用ディジタイザーや地震の位 置およびマグニチュードを計算する電子計算機の導入も寄与している。
1983年に発生した日本海中部地震では、津波による犠牲者数が100名にのぼった。この地震の際、仙台管区気象台(日本に6か所ある津波予報中枢のひとつで、この地震の発生場所を含む地域に対する津波の予報発表の責任を負う中枢)は、日本海沿岸に対して地震発生後14分で津波警報を発表した。しかし津波は場所によってはそれよりも早く到達していた。
地震、津波に対する素早い対応を行うため、地震活動等総合監視システム(EPOS:Earthquake Phenomena Observation System)または地震津波監視システム(ETOS:Earthquake and Tsunami Observation System)が、1993年までに本庁および地方津波予報中枢にそれぞれ配備された。これらのシステムには、地震自動探知、位 置・規模の計算、津波の可能性の判定および予報発表の各処理が導入され、予報作業は7分以内に行うことが可能となった。
1993年には北海道南西部沖地震が発生し、札幌管区気象台は北海道の南西部沿岸に隊対して津波警報を5分で発表した。これは当時の作業形態から考えると驚くべき速さではあったが、津波予報が発表された頃には震源地の中にあった奥尻島には既に津波が来襲していたのである。島には地震発生後3分から5分で高さ10m以上の津波が押し寄せたと推定され、200人以上が犠牲となった。
この地震の後、ソフトウェアの改善と津波地震早期探知網の展開が図られ、津波予報発表までの時間は3分にまで短縮された。
以上の歴史を図1に簡単に示す。
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