連邦緊急事態管理庁(FEMA)はCalifornia at Riskの初版を州の地震軽減プランとして承認した。この計画ができてからほぼ3年後にローマ・プリータ地震が発生した。1989年のローマ・プリータ地震の後、連邦緊急事態管理庁(FEMA)は災害資金調達の可能性を確保するため、州に地震危険軽減プランの提出を求めた。
第1プラン期間中(1978〜92年)に発生した被害を伴う地震
場所
日付
マグニチュード
死者数
負傷者数
被害額
Whittier
87年10月
5.9
8
200
$358 Mil
Imperial
87年1月 87年11月
6.6 6.2
0
94
$3 Mil
Loma Prieta
89年10月
6.9
63
3,757
$5.9 Bill
Upland
90年2月
5.5
0
38
$10 Mil
Sierra Madre
91年6月
5.8
1
30
$34 Mil
California at Risk 1992年〜1996年
1989年10月にサンタ・クルーズ山脈の山間部を襲った中程度のローマ・プリータ地震は、過去を思い出させ、将来を垣間見せた。この地震で過去14年間に亘る危険軽減努力に大きな成果があったことが分かったが、同時にまだ弱点があることもはっきりした。被害を受けたインフラの再建に非常に時間がかかったことも驚きであった。California at Riskの第2版では、1987年から92年にかけて発生した5つの地震から得た教訓を反映させて内容に変更が加えられた。初版で72あったイニシアティブは、その後達成されたり、統合されたり、或いは技術的に実現不可能または費用がかかりすぎるので撤回されたりして、第2版では42に減らされた。プランの進展具合を知り、達成項目を記録し、プログラムを日程通りに進めるため、約150のプログラム・マイルストーンが設定された。42のイニシアティブは次の5つのカテゴリーに分けられる。
1992年から96年にかけて発生したノースリッジ地震等により、新たにいくつかの重要な問題が発生した、それらの問題とは、復旧に時間がかかりすぎること、被害軽減には動機づけが必要、緊急住宅が不十分、スティール製の瞬間フレーム接続が期待通りの働きをしなかったことである。連邦緊急事態管理庁(FEMA)はCalifornia at Riskを州の地震危険軽減プランとして引き続き承認したが、前述の問題点は地震安全委員会に政策方針の大幅変更を迫ることになった。