不屈の大地 Build Back Betterの軌跡



平成16年(2004年)新潟県中越地震からの復興

 平成16年(2004年)10月23日に発生した新潟県中越地震により大きな被害を受けた長岡市山古志(当時は山古志村)。地震による多くの地すべりや斜面崩壊が発生し、崩れた土砂が芋川を堰き止めて河道閉塞が発生したことにより、木篭こごも楢木ならのきの両集落は水没してしまいました。

 このうち楢木集落は、復興に当たり、池谷小学校の跡地の高台「天空のさと」へ集団移転することとなりました。

 天空の郷は旧集落を見下ろす山の上に立地しています。住民たちは住み慣れた集落を離れることになりましたが、集落ごとの移転であることから従前のコミュニティは維持され、今でも昼間は畑仕事をするために旧集落に通っています。

 移転実現までの2年半の間に住民主体の懇談会を設置し、様々な議論を重ねながら住民自ら移転を決め、高台移転で安全な土地に住みつつ、集落としての機能やコミュニティは維持する形で復興を遂げています。

 天空の郷のすぐ側には、リニューアルされた山古志闘牛場があります。ここを会場として行われる「牛の角突き」は、地域を結びつける伝統文化として、復興の象徴ともなりました。

河道閉塞により水没した当時の楢木集落(長岡市提供)

河道閉塞により水没した当時の楢木集落(長岡市提供)

現在の楢木集落。集団移転後の今でも、耕作地と作業小屋は使われている。(2024年9月撮影)

現在の楢木集落。集団移転後の今でも、耕作地と作業小屋は使われている。(2024年9月撮影)

池谷小学校跡の碑(2024年9月撮影)

池谷小学校跡の碑(2024年9月撮影)

復興の象徴となった山古志闘牛場(2024年9月撮影)

復興の象徴となった山古志闘牛場(2024年9月撮影)


 長岡市の山古志支所(震災当時の山古志村役場)の敷地内には、「やまこし復興交流館おらたる」が整備されています。2階の展示室には、発災から全村避難、3年間の避難生活、帰村までの写真や住民の証言等が、時系列で展示され、山古志の成り立ち、災害発生から復旧までをプロジェクションマッピングで紹介する地形模型シアターが見られます。1階には、地域総合案内窓口、お土産コーナー、カフェを兼ねた交流スペース等が設置されています。
やまこし復興交流館おらたるの展示スペース(2024年9月撮影)

やまこし復興交流館おらたるの展示スペース(2024年9月撮影)


表紙写真

 河道閉塞により水没した三ケさんが地区の楢木ならのき集落の集団移転先である「天空のさと」。山の上に立地する池谷小学校跡地を造成した住宅地で、災害公営住宅も建設されました。天空の郷のすぐ側には「牛の角突き」が行われる山古志闘牛場があります。
(左下の写真は長岡市提供。上及び右下の写真は2024年9月撮影)

表紙写真

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内閣府政策統括官(防災担当)

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