特集② 能登半島地震でのコミュニティの共助による防災活動



地区防災計画学会理事・青年部長 金思穎

1 はじめに

 令和6年(2024年)1月に発生した能登半島地震では、日頃のコミュニティでの共助による防災活動がいきて、住民が助かった事例がいくつも出ています。

 ここでは、発災直後から地区防災計画学会等で注目されていた特徴のある石川県の二つの事例を紹介します(2024年2月24日、2月27日『地区防災計画学会note』記事)。

2 津波避難の事例 ―珠洲市三崎町寺家下出地区―

2-1 地区の特性

 能登半島地震での津波避難の事例としては、珠洲市三崎町寺家下出地区の事例があります。この地区は、能登半島の先端部の海沿いの地区であり、約40世帯約90人の住民が暮らしていました。

2-2 避難訓練がいきて早期避難により地区全員の命が助かった

 能登半島地震の際には、堤防を越える大きな津波が、地震から25分ほどで襲来し、多数の住宅が倒壊しました。

 一方で、地震発生後に、多くの高齢の住民たちは、荷物を持つことなく、隣近所が声をかけあって、整備していた避難路を利用して、早期に避難をしました。

 体の不自由な住民は、元気な人が背負う等互いに助け合い、住民全員が、避難路である坂道を登って、高台の集会所に避難しました。その結果、住民全員の命が助かりました。

 この下出地区では、防災士や地区の役員等の協力によって、自主防災組織が設立されており、避難計画等が準備されていました。

 そして、2011年の東日本大震災の災害教訓を受けて、10年以上毎年1~2回、避難計画等に基づいて、地震や津波を想定した避難訓練を継続していました。

 そして、この避難訓練が、今回の能登半島地震からの避難でも、大きな成果を発揮しました。

2-3 日頃の避難訓練でタイムを計測

 この下出地区の避難訓練では、毎回、班ごとに避難時間を計測しており、最短ルートでの避難を研究していました。また、日頃から発災時は集会所に集まることを徹底していました。

 そのため、住民たちは迅速な避難に慣れており、今回の地震でも、自然と避難先である集会所に集まりました。

 また、下出地区の住民同士の人間関係が大変良好で、普段から避難先である集会所でカラオケ大会を開いたりしていました。このように普段から避難先に行く習慣があったことも、早期避難の成功に影響しました。

3 コミュニティの共助による救出活動の事例 ―能登町鵜川地区―

3-1 地区の特性

 能登半島地震でのコミュニティの共助による救出活動の事例としては、能登町鵜川地区の事例があります。

 鵜川地区は、人口約860人、約370世帯の古くから漁業が盛んな海沿いの地区です。

 鵜川地区の「にわか祭」は、袖キリコの中でも、特徴的なことで有名です。七福神の一人である弁財天を祀る漁師の祭礼で、毎年8月に実施されています。

 この「にわか」とは、鵜川に古くから伝わる武者の絵が描かれた高さ約7m、幅約5.4mの9基の大奉燈であり、祭り中は、鵜川の街中を練り歩きます。

3-2 コミュニティ内で助け合って生き埋めになった住民を救出

 能登半島地震の際には、地震によって数多くの家屋が倒壊し、生き埋めになった住民も出ました。

 しかし、迅速に全員の安否確認を行い、がれきに埋まってしまった住民については、コミュニティの住民同士で助け合いながら、救出しました。

 そのため、鵜川地区では地震による家屋の倒壊はあったものの、全員が助かったのです。いざという時に、住民が結束して対応した共助の成果です。

3-3 東日本大震災の教訓を踏まえた訓練の成果

 鵜川地区では、2011年の東日本大震災の後、津波ハザードマップの見直し等を行っており、地震や津波に対する住民の防災の意識が高くなっていました。

 そして、東日本大震災の教訓を踏まえて、毎年1回津波を想定した避難訓練を実施しており、高台への避難や避難所開設の訓練を繰り返していました。

 そのため、能登地震の際には、住民は、迅速に高台の鵜川小学校の避難所に避難するとともに、逃げられなかった住民の情報を迅速に把握し、共助によって救出することができたのです。

4 二つの事例の共通点

 この二つの地区では、東日本大震災等の教訓を踏まえて、住民等が主体となって、地区の特性にあわせて、避難計画を作ったり、避難路を準備したりしていたほか、継続的に防災訓練を実施していました。

 この防災活動は、日頃から醸成されていた良好な人間関係の中で育まれたものでした。

 能登半島地震発災時には、このような普段からの人間関係や訓練がいきて、早期避難、安否確認、逃げ遅れたり、がれきに埋まったりした人の救助等の共助による支援活動が実施されました。

 このことが、地区の住民全員の命が助かることにつながったのです(西澤 2024)。

珠洲市三崎町寺家下出地区の住民が避難した集会場

珠洲市三崎町寺家下出地区の住民が避難した集会場

珠洲市三崎町寺家下出地区の住民が避難した避難路

珠洲市三崎町寺家下出地区の住民が避難した避難路

文献
2024年2月24日『地区防災計画学会note』「第166回 能登地震での津波避難の事例(珠洲市三崎町寺家下出地区)」.
2024年2月27日『地区防災計画学会note』「第167回 能登地震でのコミュニティの共助の事例(能登町鵜川地区)」.
西澤雅道, 2024, 「地区防災計画制度10年を振り返って」地区防災計画学会第10回大会資料.

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