特集 関東大震災から100年②~あの時その場所で何が起きていたのか~



多くの命を救った横浜公園

 震源に近い横浜市では東京市以上に被害は大きく、住家全壊棟数は約1万6,000棟と人口が5倍だった東京の約1万2,000棟を上回っています。 火災は東京同様に同時多発的に発生しました。出火地点は市街地に集中しており、焼失面積およそ10km2の中に177カ所もあることから、多くの人が逃げ場を失う形で、空き地や橋などで焼死したケースが多く見られました。

横浜市火災延焼状況図(内閣府)

横浜市火災延焼状況図(内閣府)

関東大震災後の横浜市馬車道付近の様子・左奥に見えるドームは横浜正金銀行(土木学会附属土木図書館提供)

関東大震災後の横浜市馬車道付近の様子・左奥に見えるドームは横浜正金銀行(土木学会附属土木図書館提供)

関東大震災後の横浜市中心部の様子

関東大震災後の横浜市中心部の様子

 一方で焼失地区内に位置している横浜公園には約6万人の避難者が集まり、53名が死亡したものの、公園内の樹木や水道管の破裂により水があったことが延焼を防ぎ、多くの人が助かりました。東京の被服廠跡地のケースと異なり、周囲の火の回りが早かったことから避難民が家財道具を持ち出せず、着の身着のまま避難してきたことも幸いしたとされています。

 また横浜正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)は地下1階、地上3階のレンガ及び石造りであり、窓などの開口部には鉄扉が取り付けられていたことから、行員や避難者340人を行内へ入れ、地下室に籠城し、炊事場の汲み置きの水を飲むことができたことで、全員が生き残りました。

現在の神奈川県立歴史博物館

現在の神奈川県立歴史博物館

震災後の救済

 震災発生翌日、政府は戒厳令の適用、非常徴発令の発令を決定したものの、対応の本格化は3日の朝からでした。東京府と東京市では庁舎構内にテント張りの非常災害救護事務所を開設して対応にあたりました。大規模避難所となった公園での救護活動も開始しました。

 日比谷公園では堀井戸全部に応急処置を施して、避難者に終夜給水を行ったほか、芝公園では、陸軍より支給の乾パン1万6,000人分、同公園水泳場の水槽内の水約8,000石が避難者に分配されました。その後日比谷公園、上野公園などでも炊き出しが広がっていきます。

 食糧・水の配給に続いて重要なのは避難民の収容です。第一次的な方法として、学校、官公衙、社寺境内や華族、富豪などの大邸宅が開放され、陸軍や民間から借り入れた天幕を収容所に充てることも行われました。こうした動きは大規模避難場所へも広がっていきました。

 その一方で、公的な避難所だけでは収容力に限界がありました。そこで第二次的な方法として、小学校の焼け跡や公園など、あちらこちらでバラック収容所が建設されていきました。

震災後のバラックが建ち並ぶ靖国神社境内(東京市「THE RECONSTRUCTIONOF TOKYO」より)

震災後のバラックが建ち並ぶ靖国神社境内(東京市「THE RECONSTRUCTIONOF TOKYO」より)

現在の靖国神社参道

現在の靖国神社参道

郊外への影響

 東京では火災旋風から逃れようと隅田川に飛び込んで水死した人も多数いました。震災から数日後には、品川町から大井町にかけての海岸に多数の水死者が流れ着きました。こうした遺体は両町で順次火葬され、後に横網町公園の慰霊堂に合葬されています。南品川の海蔵寺や、鈴ヶ森の大経寺には、関東大震災時に海岸に流れ着いた死者のための供養塔が建立され、現在も残ります。

 また関東大震災をきっかけに、当時の郊外部には多くの人たちが流入し、発展を遂げることになりました。震災前の段階で東京市の人口は飽和状態にあり、多くの被災者が郊外へ生活の拠点を求めたことから、隣接する北豊島、南足立、南葛飾、荏原、豊多摩の郡町村の人口が爆発的に増加しています。

 現在の埼玉県さいたま市北区に盆栽町という町があります。東京小石川周辺で盆栽業を営んでいた人たちが関東大震災で被災したことを機に、煙や煤などで汚染された都心を離れ、盆栽栽培に適した土や、清涼な水・空気のある広い土地を求めてこの地区に集団移転してきたことで「大宮盆栽村」が形成されたのです。その後盆栽は大宮市(現さいたま市)の地場産業として定着し、平成20(2008)年にはさいたま市の伝統産業に指定されるに至っています。

南品川の海蔵寺に残る関東大震災時に海岸に流れ着いた死者のための供養塔

南品川の海蔵寺に残る関東大震災時に海岸に流れ着いた死者のための供養塔


さいたま市北区にある大宮盆栽村。関東大震災をきっかけに盆栽はさいたま市の地場産業として定着することとなった

さいたま市北区にある大宮盆栽村。関東大震災をきっかけに盆栽はさいたま市の地場産業として定着することとなった

 ご紹介した例はほんの一部であり、関東大震災の遺構や供養塔等の石碑は首都圏を中心に多く残されているほか、郷土資料館等でも関連資料を見ることが可能です。また発災から100年の本年は、さまざまな行事も予定されています。この機会に是非、関東大震災を振り返り、日頃の備えに生かしていただければ幸いです。


「関東大震災100年」特設ページについて

 内閣府防災担当では、関東大震災100年特設ページを開設し、関東大震災の関連資料や報告書等を掲載するとともに、行政機関や各種団体等による関東大震災100年関連行事の予定等を集約・発信しています。

 関東大震災100年の共通ロゴマークも設定していますので、関連する行事等において広く使用いただければと思います。

所在地 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 電話番号 03-5253-2111(大代表)
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