特集 災害の記憶を伝える「自然災害伝承碑」



特集 災害の記憶を伝える「自然災害伝承碑」

住宅地を襲った土砂災害

 「自然災害伝承碑」をご存じでしょうか。自然災害伝承碑は過去に発生した自然災害の様子や被害の状況などが記載された石碑やモニュメントです。実際に被災した場所に建てられていることが多いことから、その地域で過去にどのような災害が起きたのかを知る手がかりとなります。また、災害は同じ場所で繰り返し発生するケースが多いことから、地域の防災意識の向上につながる効果があると期待されています。

 平成26(2014)年8月、広島市の安佐南区緑井地区・八木地区から安佐北区の可部地区にかけての狭い範囲で記録的集中豪雨が発生しました。この豪雨に伴って地区内の複数の場所で大規模な土石流が住宅地を襲い、死者74名という甚大な被害を記録しています。

平成26年8月豪雨による広島市八木地区の被害状況。赤く塗られた部分は土砂流出範囲(地理院地図)

平成26年8月豪雨による広島市八木地区の被害状況。赤く塗られた部分は土砂流出範囲(地理院地図)

 被害に遭ったのは広島市のベッドタウンで、1970年代以降の宅地開発により人口が急増した地域でした。いずれも山麓に広がる傾斜地で、河川の浸食・運搬作用の他に山から流れ出た土砂などが堆積した扇状地性の地形です。つまりは過去にもこの災害をもたらしたものと同じような現象が繰り返された可能性がある土地だったのです。加えて周辺の山地には花崗岩の風化によりできた「まさ土」と呼ばれる砂状のもろい土壌が分布しており、土砂災害を起こしやすい環境でもありました。実際に平成11(1999)年にも隣接地区で同じような土砂災害が発生しており、広島市内で20名の犠牲を出しています。

 現在被災地を訪れると、砂防・治山工事などインフラの整備が進んでおり、多くの住宅が再建されています。その傍らにいくつかの自然災害伝承碑が建てられていることに気づきます。緑井地区の緑井第八公園内にある石碑には「土砂災害記念碑」と刻まれた下に、「8・20土砂災害でこの地で10名の尊い命を失い、民家も大きく破壊された。この被災地の公園に災害記念碑を建て、哀悼の意を捧げ、災害から身を守る誓いを後世の人たちに伝えていく」と記されています。また、八木地区でも梅林小学校敷地内に「広島土砂災害 忘れまい8・20」の石碑が建てられているほか、被害が大きかった県営緑丘住宅の敷地内などに慰霊碑が設置されています。これらは、被災した地域の方々が、「この場所ではこのような災害が起こる可能性がある」と伝承すること、そして後世の人々がその災害から命を守ることを願って建てられています。

広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。
広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。

広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。

このすぐ横に自然災害伝承碑が残されている

このすぐ横に自然災害伝承碑が残されている

災害は同じ場所で繰り返される

 災害の発生には素因と誘因があります。誘因は災害を発生させる直接的な引き金となる現象で、豪雨や地震などが該当します。一方の素因は、地形や地盤、環境などその土地が持っている性質です。たとえば、国内の多くの低地がそうであるように、河川の氾濫により土砂が堆積した土地は、氾濫が起きやすい土地といえます。過去に土砂災害や津波に襲われた土地も、そのような(土砂災害や津波を受けやすい)性質を持つ場所であり、今後も同じような現象が繰り返される可能性が高いということです。

 しかし大きな災害の後に、「何十年も住んでいてこんなことは初めて」という住民の声が報道されることがあるように、多くの場合、その土地に住む人々はそうした土地の性質を意識していません。現象としての地震や津波、河川氾濫や土砂災害の発生スパンは数十年から数百年、時には数千年から数万年などいうことも珍しくなく、人間の人生のサイクルとは必ずしも一致しないためです。だからこそ、「過去にこのような災害が発生したから気をつけて」というメッセージを自然災害伝承碑として残すことに意味があるのです。

坂町に建つ2つの自然災害伝承碑

 平成30(2018)年7月の西日本豪雨は中国・四国地方を中心に西日本の広い範囲に被害をもたらしました。広島県の坂町の小屋浦地区では、天地川で土石流が住宅地を襲い、15名が亡くなっています(広島県資料)。実は小屋浦地区には、100年以上前の明治40(1907)年に発生した土砂災害を伝える自然災害伝承碑が残されていました。その碑文には「今までかつてなかった大雨のために谷の水はあふれ土砂が荒れくるうように流れた。このため一瞬にして家屋の四十三戸はつぶれ命を失った人四十四人、小屋浦地区の悲惨な状況は言いあらわすことができないさまで手をこまねいてなげくのみであった」と記されています。

 しかし残念なことに、この石碑の内容は住民に十分に伝承されておらず、西日本豪雨時に坂町が発令した避難勧告(当時:現在は「避難指示」)が出されて2時間20分後までに避難した方の割合は21.8%に止まっていて、再び多くの犠牲を出す結果となってしまいました。これを踏まえ坂町ではこの石碑の隣に、西日本豪雨の被害の状況に加えて、明治40年、昭和20年、昭和40年の坂町の災害履歴を記した新たな自然災害伝承碑と、西日本豪雨時に土石流で流出した巨石を設置し、「災害から自分の身を守るためには、早めの避難をすることが最も重要」と説明を刻字しています。併せて災害の教訓を伝える「災害伝承ホール」が建てられ、坂町自然災害伝承公園が整備されました。伝承ホールには被災者の体験談も寄せられており、再び犠牲が出ないように災害を未来へ伝承する意思が示されています。


広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。
広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。

広島市八木地区の県営緑丘住宅付近の土砂災害被災後の平成26年(写真上)と現在(令和4年(写真下))の比較。土石流が通りやすい谷筋は住宅を建てず道路として利用しており、背後には砂防堰堤が築かれている。

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