特集 風水害に備える カスリーン台風から75年 ~水害対策は「流域治水」の時代へ~



河川整備の推進と75年後の限界

 カスリーン台風を契機に、昭和24(1949)年には「水災を警戒し防御し及びこれによる被害を軽減すること」を目的とした水防法が公布され、日本の水害対策は大きく変わることになりました。

 利根川流域では「利根川改訂改修計画」が策定され、利根川上流ダム群を建設することとなり、河川整備とダムによる洪水調節を主とした治水が本格化します。流下能力をアップするために、沿川では引堤と呼ばれる堤防の堤内側への移設により川幅が広げられたほか、堤防そのものも拡幅されました。さらに渡良瀬遊水地の調節池化など、貯留施設の整備も加速しました。

カスリーン台風における利根川・荒川の氾濫流の進行図(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)

カスリーン台風における利根川・荒川の氾濫流の進行図(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)

 さまざまな施設面での対策が進むに従い、大規模な水災の頻度は減少していきます。そのいっぽうで、ダムや堤防に守られていることで、従来は人が住まなかったような浸水リスクが高いエリアも、住宅地として開発されるようになりました。また、大都市近郊では宅地開発が進んだことで、地面はアスファルトやコンクリートで覆われるようになり、雨水は地中へ浸透せず、下水道と河川に集中するようになりました。このため、昭和33(1958)年の狩野川台風のように、従来浸水リスクが比較的低かった台地上でも内水氾濫が発生するケースが目立つようになりました。

葛飾堀切地区の浸水の様子(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)

葛飾堀切地区の浸水の様子(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)

 加えて近年では、気候変動の影響もあり、豪雨災害の激甚化・頻発化が懸念されています。ここ数年でも平成29年の九州北部豪雨や平成30年の西日本豪雨、令和元年東日本台風、令和2年7月豪雨(熊本豪雨)など、毎年のように大規模な水害が繰り返されており、深刻な被害が発生しています。

 令和元年東日本台風では長野県の千曲川や福島県での阿武隈川などが決壊・氾濫したのをはじめ、関東地方でも那珂川、久慈川、入間川など23河川、46カ所の堤防が決壊したほか、多摩川でも溢水による浸水が発生したのは記憶に新しいところです。

流域治水の始動

 こうした状況に対応すべく、治水は新たな転換点を迎えました。そして新たに始まった取り組みが「流域治水」です。

 流域治水とは、従来の河川管理者や下水道管理者による水害対策にとどまらず、河川の流域全体を俯瞰して、集水域(雨水が河川に流入する地域)から氾濫域(河川等の氾濫により浸水が想定される地域)にわたり、流域に関わる自治体や企業、住民など、河川流域に関わる者すべてで行う水害対策をいいます。ダムや堤防の整備だけでなく、遊水地や雨水貯留施設の整備、住宅地における水害リスクに関する情報共有や移転促進なども含めた治水の考え方です。

 たとえば集水域においては、氾濫を防ぐための対策として、堤防やダム、遊水地の強化といった従来のハード対策に加えて、利水ダムにおける洪水調節機能強化に向けた事前放流の実施や、水田に降った雨を貯留する田んぼダムなど農業関係者にかかる取り組み、森林整備・治山対策による保水機能の向上など森林・林業関係者にかかる取り組み、また、各家庭でも一時的な雨水貯留浸透施設を設けて、雨を地中に浸透させたり、一時的に貯めこんだりといった対策も考えられます。

流域治水の考え方(国土交通省資料より)

流域治水の考え方(国土交通省資料より)

 いっぽう氾濫域では、高規格堤防の整備や高台まちづくり、リスクが高い地域の住居のリスクの低い地域への移転や、災害時の拠点整備、各家庭レベルでは浸水を抑える止水板の設置など被害対象を減少させるための対策が求められます。さらに人的被害の軽減には、ハザードマップ等で水害のリスクを認識したり、水害時の行動を事前に学ぶ「マイタイムライン」をつくったりといった、災害時に素早く避難できるための対策づくりが各家庭でできることとして考えられます。


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