特集 風水害に備える カスリーン台風から75年 ~水害対策は「流域治水」の時代へ~



特集 風水害に備える カスリーン台風から75年 ~水害対策は「流域治水」の時代へ~

戦後間もない日本を襲ったカスリーン台風

 今から75年前の昭和22(1947)年9月、まだ戦後復興もままならない関東地方と東北地方を、カスリーン台風が襲いました。台風による豪雨は、関東北部では土石流などの土砂災害を、東北地方と関東南部では河川の氾濫による大規模な浸水被害をもたらし、全国で死者1,077人、行方不明者853人、負傷者1,547人、住宅損壊9,298棟、浸水384,743棟(いずれも理科年表より)、罹災者の数40万人以上という甚大な被害を記録しています。

 首都圏でも、埼玉県東部から東京都の足立区・葛飾区・江戸川区にかけて広範囲の浸水に見舞われました。埼玉県川辺村(現加須市)では最高水位5.5mを記録し、湛水期間は1ヶ月にも及んだほか、東京都内でも葛飾区などで浸水深3m、湛水期間が半月に達した地域もあったほどです。

 氾濫の起点となったのは、埼玉県東村(現加須市)での利根川の決壊でした。なぜ東京から離れた利根川の氾濫が首都圏にこれほどの被害をもたらしたのでしょうか。そこには、この地域の土地の成り立ちが関係しています。

カスリーン台風による利根川の破堤地点(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)

カスリーン台風による利根川の破堤地点(提供:葛飾区郷土と天文の博物館)



氾濫流はかつての利根川の流路をたどった

 今から約6000年前、東京湾の海岸線は現在の利根川近くまで入り込んでいました。東京の下町低地や埼玉県の東部はその時海の底にあり、その後陸化したものの、大部分は低地の湿地帯でした。現在は千葉・茨城県境を太平洋へと流れる利根川や、その支流となっている渡良瀬川も、江戸時代以前はこの低湿地帯を流れて東京湾に注いでいました。江戸幕府が、江戸の町の洪水対策と舟運のために「東遷」と呼ばれる付け替えを行った結果、現在の流路となったのです。またこれにともない、かつて利根川の支流だった荒川も、東京湾に注ぐ流路に付け替えられています。

 利根川の東遷事業により、かつての湿地帯は水田地帯に変わりました。多くの新田が開発され、食料が増産されたことで、当時世界一とされた江戸の人口を支えることができたのです。その後も幕府は江戸の町を守るためにさまざまな治水対策を行っていきます。そのひとつが中条堤の建設です。利根川の右岸、やや離れた位置に6500mに及ぶ堤をつくることで、遊水地を設け、氾濫流が江戸側へ向かうのを防ぐ仕組みで、大きな効果を発揮しました。しかし明治43(1910)年の関東大水害では中条堤も決壊、氾濫流が東京の下町まで流れ込んだことをきっかけに、堤防による治水が本格化し、荒川放水路(現荒川)の建設が始まります。

 幾度となく水害が繰り返された旧利根川沿いの低地ですが、広大な平地であり、交通の利便性も高いことから、その後の国土の有効利用政策により、集中的に開発が行われてきました。そしてカスリーン台風では、まさにこの低地がそっくりそのまま大水害の舞台となったのです。

 氾濫流は決壊地点から、自然の理に従って低い土地へと流れていきました。それはあたかもかつての利根川の流れを再現するかの如く、埼玉県東部を南下していったのです。この地域は古利根川をはじめ、権現堂川、庄内古川、中川、元荒川など多くの河川や水路が網の目状に流れる低湿地帯で、これら河川の堤防も各所で決壊し、氾濫はどんどん拡大していき、多くの家屋が浸水しました。

現在も残る桜堤(地理院地図より作成)

現在も残る桜堤(地理院地図より作成)

 氾濫流は、埼玉県と東京都の境界にある小合溜と呼ばれる遊水地に沿った堤防「桜堤」に阻まれて一旦食い止められました。利根川の決壊から二日後のことです。ここが決壊した場合、氾濫流が東京の下町に流れ込むため、東側の江戸川の堤防を爆破することで氾濫流を江戸川に排水することを試みたものの、失敗に終わります。

 翌日未明、ついに桜堤は崩れて濁流が東京の下町を襲います。葛飾区はそれまでも何度となく水害に悩まされていましたが、カスリーン台風では浸水家屋54,128棟、罹災者218,251人(葛飾区資料より)という甚大な被害になりました。足立区では東部の低地が水没、また江戸川区もほぼ全域が浸水に見舞われています。最終的にカスリーン台風による浸水は、決壊した利根川から東京にまで広がり、氾濫の流下距離は60キロに達しました。

 葛飾区や江戸川区の荒川沿いの地域はもともと水はけの悪い低湿地であったことに加えて、地盤沈下の進行で標高が海面下であり、排水はなかなか進まず、この地域では湛水期間が半月を越えました。


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