不屈の大地 Build Back Betterの軌跡



狩野川台風からの復興 昭和33年(1958年)・静岡県

地図

 昭和33年9月26日、台風22号が伊豆半島を襲いました。狩野川上流の湯ヶ島では739mmの雨量を観測する豪雨となり、狩野川水系では大規模な水害に見舞われました。この台風は首都圏をはじめとした関東地方にも被害をもたらしましたが、狩野川流域だけで死者・行方不明者853人、家屋被害は6,775戸の甚大な被害を記録したことから、気象庁はこの台風を狩野川台風と命名しました。

 狩野川上流域では、修善寺橋(現伊豆市)で大量の土砂や流木が集中したことで形成された天然ダムが崩壊して鉄砲水が発生、中・下流域でも至るところで堤防が決壊することとなり、氾濫面積は3,000haにも及びました。

 狩野川台風から7年後の昭和40年7月、狩野川中流部の江間村(現伊豆の国市)墹之上ままのうえから分流し、江浦湾へとバイパスする全長約3kmの狩野川放水路が完成しました。2つのトンネルで山を貫くという全国でも珍しい構造で、増水した際には分流地点のゲートを開放することで狩野川の水を放水路に流し、中・下流域の平野部を氾濫から守る役割を果たします。放水路の完成以降、狩野川の本流では一度も氾濫は発生していません。

 記憶に新しい令和元年東日本台風(台風19号)。東日本全域で浸水被害が相次いだこの台風において、気象庁は最大級の警戒を呼びかけるうえで「狩野川台風に匹敵」という表現を用いました。

 実際に東日本台風では湯ヶ島で狩野川台風を上回る778mmの雨量を観測しましたが、放水路が機能したことで、鹿野川本流の流量が抑えられ、下流部を氾濫から守ることになりました。国土交通省中部地方整備局の試算では、放水路の効果で本流の水位は2m低下し、1万6000戸の浸水を防いだと推定されています。

狩野川の氾濫により濁水の海と化した田方平野(写真提供:沼津河川国道事務所)

狩野川の氾濫により濁水の海と化した田方平野(写真提供:沼津河川国道事務所)

狩野川放水路航空写真(地理院地図を加工)

狩野川放水路航空写真(地理院地図を加工)

長岡トンネル墹之上側の坑口

長岡トンネル墹之上側の坑口


狩野川資料館

表紙の写真

江浦湾の河口付近の上空から見た狩野川放水路の全容。奥に見える狩野川から分流して、2つのトンネルで山を横切る形で開削された長さ3kmの人工水路です。
(写真提供:伊豆半島ジオパーク推進協議会)

表紙絵

Build Back Betterとは

「Build Back Better(より良い復興)」 とは、2015年3月に宮城県仙台市で開催された「第3回国連防災世界会議」の成果文書である「仙台防災枠組」の中に示された、災害復興段階における抜本的な災害予防策を実施するための考え方です。

本シリーズでは、災害が発生した国内外の事例を紹介し、過去の災害を機により良い街づくり、国土づくりを行った姿を紹介いたします。

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