災害を語りつぐ 8

泥流に埋まった村を蘇らせた村長~十勝岳噴火(1926)

浅間山の麓にあった鎌原村は、1783年の大噴火で大きな被害を受けますが、村人は困難を乗り越え、村を立て直しました。

十勝岳が爆発

北海道の中央部、富良野盆地を囲む東側に標高2000メートル級の大雪十勝火山群があります。十勝岳(標高2077メートル)はこの火山連峰のひとつで、30~40年の間隔で噴火を繰り返している活火山です。この火山が1926(大正15)年5月24日に大爆発しました。1度目は正午頃、続いて起きた午後4時17分の2度目の大爆発によって新しく生まれた噴石丘の半分が崩壊しました。高温の噴出物が山の斜面の雪を溶かしながら泥流となって美瑛川を流れ下り、畠山温泉を襲います。一方、富良野川を流れ下った泥流はわずか25分で富良野盆地に流れ着きました。

死者123名、行方不明者21名、建物372棟、家畜68頭、それに豊かな恵みをもたらしてきた田や畑5平方キロメートル(500町歩)が一瞬にして泥流で埋め尽くされてしまいました。

泥の深さは上流で6メートル、上富良野では4メートルにもなったといいます。泥のなかに深く埋まった人を掘り出し、流れてきた大量の流木を焼いて処分することは大変な重労働でしたが、付近から青年団や消防団などが救援に駆けつけました。

火山のイラスト

絶望を希望に変える努力

多くの死者が出た上富良野村は、30年ほど前に、三重県から来た開拓団が原野を切り開いてできた村です。しかし、噴火による泥流で土地は硫黄分の強い泥に埋まり、作物が実ることは期待できない状態になりました。

村の人々は、これからの生活をどうしたらよいのか迷いました。そんななかで、村長の吉田貞次郎は村民を諭します。苦労して開墾した土地だから見捨てないで元に戻そうと村人を励まし、政府や北海道庁などに働きかける努力をしました。

吉田村長も三重県から15歳の時に家族とともに上富良野に移住し、35歳で村長となった人望の篤い人です。村長自身もこの噴火で母親を亡くしましたが、被災者の救援や救護、そして村の復旧に満身の力を注ぎました。

吉田村長の村の再興への強い意志は、移住を考える人たちの心を動かしました。噴火の翌年に苗を植えましたが、土に残る強い硫黄分によって根を張ることもできません。しかし、村人の努力で2年目には稲が根を張るところも出て、耕作への希望が見えてきました。

災害を乗り越えるには人々が協力して、地域の再生に向かって一緒に努力することが必要ですが、また、いろいろな意見を持つ人たちを一つの目標に向かってまとめていく人物も欠かせないのです。

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