災害を語りつぐ 6

燃えつくした“風の町”決死の消防活動~酒田大火(1976)

山形県酒田市は1976年の「酒田大火」で大きな被害を受けますが、その教訓は防災活動に役立てられ、以後、大火は発生していません。

「風の町」酒田

松尾芭蕉の俳句でも知られる最上川は、山形県のみを流れる一級河川です。その流域には、上流の米沢盆地、中流の山形盆地、そして下流の庄内平野と、日本有数の穀倉地帯が広がり、日本海へと注ぐ河口近くは、江戸時代には北前船が寄港し、「西の堺、東の酒田」と言われるほど繁栄した港町・酒田市があります。

酒田は「風の町」とも言われています。その地形から強風が吹き荒れることが多く、ひとたび火災が発生すると、大火になることが昔からしばしばありました。

過去の大火を振り返ってみると、18世紀以降の300年間に、500戸以上焼失した大火が16回(そのうち1000戸以上焼失したのが7回)記録されています。明治以降は、消防組織の充実や市民防災意識が向上したこともあって、100戸以上が焼失する大火は、ほとんど発生していませんでしたが、1976(昭和51)年、1700戸余りを焼失する「酒田大火」が発生しました。

強風で飛び火が発生

10月29日午後5時40分、酒田市中町2丁目の映画館のボイラー室から火の手が上がりました。観客20名は無事に避難しましたが、13分後に消防車が現場に到着した時には、風速12メートルを超える西北西の強風に煽られて吹き出した火焔が、またたく間に隣接の木造家屋などに燃え広がっていました。そして、強風により発生した大量の飛び火が、中町地区の商店街を襲います。

懸命な消火活動も火の勢いには力及ばず、日が変わっても火の勢いは衰えません。午前3時頃、それまで時折降っていた雨が強まり、午前4時頃には強風も収まったことでようやく火の勢いも衰えました。午前4時50分に市長に鎮火が報告され、午前5時に鎮火が宣言されました。こうして12時間にわたる炎との戦いは幕を閉じたのです。

この火災では、酒田地区消防組合の消防長が亡くなりました。火災発生の知らせを受けて火元の映画館に直行すると、危険を顧みず館内に進入して人命捜索にあたりましたが、不運にも煙に巻かれて殉職したのでした。

多くの消防職員や消防団員が、強風の中、猛烈な火の勢い、飛び火、濃煙、有毒煙などが襲う過酷で危険な条件のもとで、延焼を食い止めるために、不撓不屈の精神で必死の消火活動を行いました。大火からの教訓は、今後の防災活動に役立てられ、以後、大火はこの地では発生していません。

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