過去の災害に学ぶ30

1960年5月24日チリ地震津波 その3

チリ津波から50年、日本の津波対策の変化や課題について概説します。
文:清水義彦(群馬大学大学院工学研究科教授)

構造物主体の対策とその後

チリ津波の後、沿岸各地で防潮堤・津波防波堤・津波水門などが建設された。これには三つの条件が満たされる必要があった。
第一は、技術の確立である。1956年に施行された海岸法に基づき、海岸施設築造基準が1958年に出来上がっていた。
第二に、津波の高さである。大きくても5、6mと、構造物で陸地への侵入を防ぐことが可能な高さに止まっていた。
第三には、経済的な裏づけである。所得倍増計画で国民所得が急増し始めていた。
津波襲来1ヶ月後に施行されたチリ津波特別措置法には、「津波対策事業」とは「津波災害を防止するための施設の新設又は改良」と明記されている。
チリ津波緊急対策事業終了直後、1968年十勝沖地震津波が襲来し、出来上がったばかりの構造物で陸上への浸水は、ほぼ完全に阻止できた。津波は構造物で防げるとの考えが広まる。しかし、明治・昭和の三陸大津波の記憶の強い岩手県は、さらに堤防の嵩上げを続けており、平成22年現在でも、まだ完成には至っていない。38m水深の所に建造された大船渡津波防波堤は4年間で完成したが、63m水深の場所に作られ昨年完成した釜石津波防波堤には22年の日時を要している。
昭和50年代、東海地震の危機が注意をひき始めたころ、構造物主体の対策を見直す動きが現われた。その成果は「津波常襲地域総合防災対策指針(案)」(建設省河川局・水産庁)として、1983年日本海中部地震津波の直前にまとめられた。
1993年北海道南西沖地震津波では、奥尻町青苗5区が防潮壁を乗り越えた津波で全滅した。これを教訓に関連7省庁が「地域防災計画における津波防災対策強化の手引き」(1997年)に合意する。基本は上記指針(案)を引き継ぐもので、防災構造物、津波に強いまちづくり、防災対策の三つを組み合わせて対処しようとする。構造物だけでは津波は防げない場合のある事を、ここで明確に認識したのであった。
とは云え、発生頻度の高い中小規模の津波に対して構造物は有効だが、構造物に特有の問題がある。構造物そのものの劣化に加え、浜が浸食でやせ、風波が構造物内部の土砂を吸い出すようになると危ない。この結果、突然堤防裏側が陥没した事故が実際に生じている。50年、100年の間隔で来襲する津波に対して、構造物の機能・強度を如何に維持していくかが、大きな問題となっている。

図1 カスリーン台風での県別死者数

大船渡湾湾口に作られた世界最初の津波防波堤
(国土交通省釜石港湾事務所のホームページより)

図2 土石流により浸食され、谷間と化した状況

宮古市田老町は高さ10mの防潮堤で守られているが、明治三陸大津波(高さ15m)では浸水する。
(津波遡上CG 岩手県のホームページより)

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