過去の災害に学ぶ31

1947年9月 カスリーン台風 その1

1947年(昭和22年)9月、秋雨前線が本州付近を停滞する中、15日夜半に房総半島南部を通過したカスリーン台風は東日本に大雨を降らせ、関東では洪水土砂災害によって死者数1,100名、家屋の浸水30万3千160戸、家屋の倒半壊3万1千381戸の甚大な被害となった。
その被害の多くは、わが国最大の流域面積をもつ利根川流域において発生し、15日午後からの上流域での洪水土砂災害、16日午前0時20分の北埼玉郡東村(現・加須市)での利根川堤防決壊、そして約5日間にわたる首都圏氾濫と、広域で様々な被災過程が生じた。

文:清水義彦(群馬大学大学院工学研究科教授)

利根川上流域での土砂災害—赤城山の土石流

 上流域にあたる群馬県では14日から15日の2日間で、沼田554mm 、前橋391mm 、藤岡426mm などの豪雨となり、それが引き金となって、赤城山を中心に斜面崩壊や土石流が多発した。
 赤城山(標高1,828m)は火山噴火物が積み重なって形成され、侵食を受けやすく、崩壊し易い地質構造にある。赤城山頂の大沼から発し、西側斜面を下る沼尾川では、15日午後、降雨がいっそう強くなり、15時頃山鳴りとともに斜面が崩れ、30分後には高さ約10mほどの土石流が敷島村(現・渋川市)深山地区を襲った。被災前は小規模な渓流河川であったものが、土石流通過後に深さ6〜10mの切り立ったU字型の谷に変貌しており、その侵食力の凄まじさを物語っている(図2)。
 一方、その下流では宅地や農地に大量の巨石と流木等が2〜5mの高さで堆積し、利根川本川まで到達した土石流は一時流れを堰き止めて、浸水被害をもたらしている。土石流の侵食によって、沿川の家屋は一瞬のうちに流失するが、削り取った土石も土石流本体に取り込まれて、その規模を大きくし破壊力を増す。沼尾川での土石流は侵食・堆積過程が沿川集落の中で発生したことで甚大な被害となり、敷島村全体で死者行方不明83名、重傷者14名、流失家屋167戸の大惨事となった。
 赤城山南麓の荒砥川でも土石流が沿川の大胡町(現・前橋市)を14時半頃に襲い、犠牲者72名を出す惨状となり、同じく南麓の富士見村(現・前橋市)では16時頃赤城白川で土石流被害が生じている。
 敷島村での被災体験者による証言では、土石流が侵食した谷間の底から2、3百年程度は経過したと思われる木材とその下に軽石層(噴火物)が発見されたとのことで、過去の洪水土砂災害によって樹木や土石が堆積し、谷間を埋めた渓流河川がカスリーン台風で再び侵食され、被害を拡大したことを思わせる。
 土石流災害はその土地の地形、地質の特性とともに渓流の不安定な堆積物の存在が素因であり、豪雨が誘因となって発生する。土石流扇状地は平場を作って山村の集落となるが、そこは潜在的な災害地形であることを忘れてはならない。

図1 カスリーン台風での県別死者数
(出典:「写真と新聞で見るカスリーン台風」、上毛新聞社)
図2 土石流により浸食され、谷間と化した状況
(敷島村(現・渋川市)深山地区)
(出典:「写真と新聞で見るカスリーン台風」、上毛新聞社)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書
1947 カスリーン台風 https://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1947_kathleen_typhoon/

所在地 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 電話番号 03-5253-2111(大代表)
内閣府政策統括官(防災担当)

Copyright 2017 Disaster Management, Cabinet Office.