記者の眼

望まれる個々の防災行動

防災分野のある大学教授が、顔を合わせるたび「防災対策や被災時対応の想定が(自治体や関係機関に比べて)最も遅れている住民レベルをどう底上げするか、悩ましい」と繰り返す。東海地震を中心とした防災取材を担当して一年半、この言葉の意味を痛切に感じながら日々を過ごしている。

家具の固定率、39.5%—。

東海地震に関する政府の地震防災戦略の進ちょく状況がまとまり、静岡や愛知など被害が予想される強化地域内の数値が示された。「東海地震説」が世に出て既に30年余りがたち、もはや防災の素人ではないはずの市民の実に6割を超える人たちが、今すぐにでも実行できる、ごく身近な防災行動を取っていない計算になる。「あす起きても不思議ではない」東海地震に対して悠長すぎやしないか。個々の防災意識を映し出すバロメーターとも言える家具の固定率は、いまだ行政や団体に頼り切っている市民の性格を浮き彫りにした感がある。

ところで、静岡県立総合病院に安田清さんという副院長がいる。今年初めに横浜で開かれた震災技術展で氏の講演に接した。東海地震発生時は、地域の基幹病院として「当院はクラッシュ症候群をターゲットに絞った医療体制を展開する」と主張し、少々の衝撃とともに聴いた。

クラッシュ症候群は、倒壊家屋などに長時間圧迫された筋肉が解放されると血液中にカリウムなどの有害物質が大量に流れ出し、心室細動や心停止を引き起こす。一見して症状の判別が難しいため、程度を軽く見ていると突然死に至る危険な疾患で、平成7年の阪神・淡路大震災で一般に知られるようになった。適切な処置さえ施せば命を救えることから、氏は同症候群を“防げる死”と位置付けている。これに特化して対応しようというわけだ。

受け止めようによっては極端とも取れる主張内容だが、発災時は同病院の周辺だけでも千人以上が建物の生き埋めになるとのデータがある。骨折患者や裂傷患者が病院に殺到し、対応に追われるうちに本来なら救える命ののともしびが消えていく—。阪神・淡路大震災での救護経験を持つ氏には、当時の様子が脳裏にあるのかもしれない。「(骨折患者などは)『助かっている命』だ」と明快で、そうした患者は地域住民同士が連携して対応、処置すべきと論じた。医療機関が「できないこと」を明らかにすることで、防災に向けたあるべきまちづくりの姿はむしろ明確になった。つまり、ここでも鍵を握っているのは住民の防災意識の改革や高揚、そして実行だ。行政や関係機関の一方通行では何も変わらない。

先の防災戦略の進ちょく状況では、東海地震の死者数は当初の想定より1300人減少するものの7900人に上るとの試算が併せて示された。市民一人ひとりが自ら防災行動を一つ実行するだけでも、この数字は大きく改善できるように思う。家具を固定さえしていれば……のような“防げた死”をいかに減らすか。取材と記事を通じてどう喚起していけるかを常に考えている。

河村 英之さん

静岡新聞社東京支社編集部
河村 英之
かわむら ひでゆき
平成14年、静岡新聞社入社。社会部、浜松総局、水窪支局、社会部を経て平成19年10月から東京支社。

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内閣府政策統括官(防災担当)

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