シリーズ 一日前プロジェクト(第11回)

もし、1日前に戻れたら…
私たち(被災者)から皆さんに伝えたいこと

地震、津波、風水害……さまざまな災害を実際に体験した方に、 「もし、一日前に戻れたら何をしますか?」と訊ねたのが、「一日前プロジェクト」。被災者の声は、 私たちにいろいろなことを教えてくれます。今月のテーマは『平成17年台風第14号(平成17年9月)』です。

保険は絶対必要〜見積り中で、間に合わず〜(宮崎市60 代男性)

 定年になって40年ぶりにふるさとに帰って、家を新築したのはいいけれど、たった9カ月でこの水害にあい、泥水につかった家は、新しくそろえた家財道具もろとも、使いものにならなくなりました。
 家を建てるときは、この土地は昔から水害が多いということで、1メートル50センチぐらいかさ上げをしました。「これだけ上げたら大丈夫」と思っていたのに、あれよあれよという間に水が押しよせてきて、それこそ、女房と2人で貴重品と毛布だけを持って逃げるだけで精いっぱいでした。
 結局、床とか壁は全部とり替えましたから、老後の資金にと残しておいたお金の半分を使わなければならなくなりました。
 私も長い間仕事をしてきて、保険の大切さはわかっていたんですよ。だから4社ぐらいから見積をとっていて、どれが有利かよく勉強して、年末までにどの保険に入るか決めようと思っていた矢先でした。「早く保険に入ってさえいれば」と落ち込みましたが、運がなかったからだと、あきらめました。
保険は絶対必要

水害の後始末に3カ月(宮崎市20 代女性)

 うちは平屋でフローリングの部屋が3つあって、あとは全部畳だったので、まずは畳を張りかえてからということで、水害後1カ月ぐらいは親戚のところやらに住んでいたのですが、おばあちゃんは認知症ぎみでしたし、「やっぱり家がいいね」っていう話になりました。
 まずはおばあちゃんの部屋を住めるようにし、その次に、そこでみんなが寝られるようにフローリングの部屋を1つきれいにして、というように、徐々になおしていきました。年末にやっとすべて終わったという感じになりましたが、完全に元の生活に戻るまでに3カ月以上かかりましたね。
 ピアノはもちろん、タンスとかも、家にあるものほとんどすべてダメになりました。ただ、不思議と冷蔵庫とエアコンは生きていました。塩水でなければ、電気製品は自然に乾かせば使えるものもあるようですね。避難するときに電気のブレーカーを下ろしておけば、少しでも被害を軽くできるんじゃないかなと思います。
水害の後始末に3カ月

命綱つけて濁流の中を泳いだ〜おとしより救助も命がけ〜(延岡市30 代男性)

 僕は社会福祉協議会の職員ですが、当時消防団員もやっていましたので、救助活動のために現場に行きました。そこはほんとうにすごい展開になっていて、「役場からの命令じゃないと動かない」と言っていたおじいちゃん、おばあちゃんが家に取り残されている状況でした。
 水の流れが速くて、ボートをこいだら自分たちが流されちゃうぐらいなんですね。で、僕は泳ぎがかなり得意なものですから、命綱をつけ、ボートのロープをもって、濁流の中を泳いで助けに行きました。なんとか無事に泳ぎきりましたが、普通の人は、絶対にしてはいけないと思います。危険ですからね。「とにかく乗りなさい」といって、二人をボートに乗せました。おじいちゃん達は、とりあえず必要なものだけはビニール袋に入れていましたが、あとは着の身着のまま。雨が激しくて傘をさせるような状態ではなかったので、ずぶぬれになりながらボートの上で不安そうにしていました。
 近所の人が避難するように言っても、かたくなに「もう、ここから動きたくない」という人がよくいますが、やっぱり避難は早めにしないといけませんね。
命綱つけて濁流の中を泳いだ
被災者の実体験を聞くことができる『一日前プロジェクト』は左記HPでも見ることができます。家庭はもちろん、地域や職場など、さまざまな話が掲載されていますので、企業の「社内報」や地域での「広報」に幅広く活用してください。

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