過去の災害に学ぶ26

1923年9月1日関東大震災 その3

 10万人余りの命と、30万の家を奪った関東大震災。
 本誌では火災と災害対応について述べてきましたが、
 今回から2回に分けて、復興事業を取り上げます。
 当時、世界最大規模の復興事業をどのように行ったのか。
 今回は都市復興について報告します。
文:室崎益輝(関西学院大学総合政策学部教授)

土地区画、幹線道路、公園が整備され、学校や橋がモダンなデザインで作られた。

帝都復興計画の策定

 関東大震災では、東京や横浜を中心とする首都圏が壊滅的な被害を受けた。その被災範囲が焼失面積の約4500haにも示されるように広大であったことから、震災復興としては世界最大規模の事業が行われることになった。この復興を担う審議機関として、国に総理を総裁とする帝都復興審議会が設置され、その執行機関として内務省が直轄する帝都復興院が設置された。帝都復興院の総裁には内務大臣であった後藤新平が就任している。
 復興は、都市基盤や公共施設の整備を図る都市復興、住まいや暮らしの確保を図る住宅復興、経済や産業の回復を図る経済復興などに大別されるが、被害の甚大であった東京市と横浜市の都市復興については、国が「帝都復興計画」を定めて復興の重責を担った。その他の復興については、府県が中心となって行っている。なお、帝都復興計画の原案づくりを担ったのは、後藤を中心とする復興院であった。
 復興院では、スラム問題や衛生問題などを抱えた東京のぜい弱な都市基盤を改造することを目標に、後に「後藤の大風呂敷」といわれる理想主義的な原案をまとめたが、第一次世界戦後の不景気という財政状況の中では受け入れられず、復興審議会の中でその内容が大幅に修正されることになった。そこでは、復興事業の範囲から非被災地を外す、京浜運河や東京築港などの計画は除く、幹線道路の幅員を大幅に削減するなどの、変更が加えられた。

復興都市計画の成果

 そうした計画の大幅な縮小にも拘わらず、帝都復興計画に基づく事業は大きな成果を上げている。
 第1に指摘できるのは、約3300haの土地区画整理事業が実施され、街路や公園が整備された近代的な街並みが、造られたことである。
 第2は、幹線道路が174路線260㎞にわたって整備され、今日の東京の骨格をなす道路網が形成されたことである。昭和通りなどの幹線道路の多くはグリーンベルトを伴ったもので、都市景観面からも都市防災面からも評価されるものであったが、後世においてグリーンベルトは車道になってしまった。
 第3は、大小の公園が多数整備されたことである。東京では、隅田公園、浜町公園、錦糸公園、横浜では山下公園、野毛山公園などの大公園が整備されている。この公園の整備で見逃してならないことは、小学校に隣接する形で復興小公園が設置されたことである。近隣住民の利用、教材としての活用、防火避難の活用を企図してのことであるが、日常と非常を重ね合わせた着眼は、高く評価できる。
 第4は、近代的な公共施設やインフラが整備されたことである。鉄筋コンクリート造の小学校や鉄製の橋梁がモダンなデザインで建設されたことはその代表例である。今なお隅田川にかかる永代橋や言問橋などに、復興の息吹を感じることができる。さらには、市民の生活に密着した中央卸売市場、ゴミ処理場、浄水場などの公的な施設の整備も図られている。

復興都市計画の問題点

 こうした復興の成果の反面、復興の問題点も少なからずみられる。その1つは、無秩序なスプロールによる郊外での脆弱な市街地の形成である。復興計画の範囲から非被災地が除かれたこと、震災を契機に多数の人々が郊外に移住したこと、その人々を受け入れるための基盤整備が後手に回ったことなどが、公共空間の少ない危険な密集市街地や不良住宅地を被災地周辺部に生みだすことにつながった。
 もう1つの問題点は、被災地内におけるバラック建築の未撤去によるスラム地区の再形成である。バラック住宅の解消を図るための代替住宅の供給が十分でなかったこと、バラックの規制が不十分で住宅の不法状態の既得権化を許したことが、危険なスラムの温存と再生につながってしまったのである。

隅田川の橋梁(出典:東京市「帝都復興事業図表」昭和5年3月)
山下公園(昭和5年。出典:横浜市「港町横浜の都市形成史」昭和56年)
帝都復興計画事業図(出典:東京市「帝都復興事業図表」昭和5年3月)
築地市場(出典: 東京市「築地本場・建築図集」昭和9年)
小学校建築(東京市立千代田小学校。出典:復興調査協会編「帝都復興史附横浜復興記念史」興文書院、昭和5年)

関東大震災PROFILE
プレート境界地震
マグニチュード:7.9(11時58分)/死者行方不明者:105,385人/焼失家屋:212,353戸/非焼失全潰家屋:79,733戸/流出・埋没家屋1,301戸

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