特集 復興に向かう柏崎から

被災を通して、学んだこと -3/5-

中越沖地震の証言3 東本町2丁目(えんま通り)振興会理事長 中村康夫さん
「復旧」より「復興」をめざし自分たちがイニシアチブをとってねらいのはっきりしたまちづくりを

通称「えんま通り商店街」と呼ばれている、東本町2丁目。かつては約40店舗が軒を連ねていたが、今は更地も多く、傷跡は深い。
「私は地下の事務室にいたのですが、すぐに外へ避難しました。すると、アーケードは倒壊し、見慣れた風景が一変していました」

創業130年の呉服店「紺太」は、現在、仮店舗で営業している。社長の中村さんは、交差点を挟んだ隣の町内、東本町1丁目にビルを借り、無事だった商品を運び込んで、8月12日に営業を再開した。
「営業再開のことを考え始めたのは3日後ぐらいから。震災翌日までは、毎日当たり前のようにしていたことがすべて白紙になり、何をしていいのかわからない状態でした」

それは、ほかの店主たちも同じだった。そこで、「1週間後に、みんなで集まって今後のことを話し合ったんです。その時、商店街の長老格の人が『これからこの街で商売を続けようという若い人たちで、絵を描いてみよう』と」

中村さんは20人ほどで「えんま通りまちづくりの会」を結成。9月25日から毎週欠かさず例会を開いて、復旧を進めてきた。
「阪神淡路大震災の例などを見ると、単にきれいな街並みをつくり上げても人は集まっていない。自分たちがイニシアチブをとり、ねらいのはっきりした商店街にしなければ。目指すのは、復旧ではなく復興です」

3カ月にわたって、商店街の復興ビジョンを検討した結果、
「『未来に向かって歩み続ける、えんま堂と共になつかしく』に決まりました。新しさを取り入れつつ、地元にとっての親しみやすさを失いたくないので。震災直後から私たちの大きな力となってくれている新潟工科大学の田口教授とともに、今は店の配置や歩道の歩きやすさ、住居部分など、具体的な街並みを検討しています。もうすぐ、200分の1のスケールの模型が完成するんですよ」

その実現のためにも、県や市の全面的なバックアップを受けられるよう、中村さんは日々奔走している。
「法律や制度など知らないことばかりではありましたが、納得できるまちづくりのためにも、行政とのコミュニケーションをうまく進めていきたい」

今年の6月……200年の歴史をもつえんま市までには復興の青写真を作り、市民に訴えたいという。

震災直後の様子
現在の様子

左の写真は震災直後の様子。偶然、店先を通りかかった女性が下敷きとなり、命を落とした。右は現在の様子で、アーケードは取り払われ、店があった場所は更地となっている。

「紺太」旧店舗。鉄筋がむきだしになるなど、現在は立ち入り禁止。

「紺太」社長で、商店街振興会の会長も務める中村さん。「震災をチャンスと考えて、暮らしやすいまちづくりをしていきたい。苦労も多いですが、楽しく取り組んでいます」

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内閣府政策統括官(防災担当)

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