特集 復興に向かう柏崎から

被災を通して、学んだこと -1/5-

震災から復旧へ……個人、地域、企業と、柏崎市の人々は抱える背景によって、さまざまな過程を歩んでいる。
いまだ、以前の生活を完全には取り戻せていないものの、着実に立ち直りつつある今、被害を最小限に食いとめる方法、震災下に必要なことなど、被災を通して学んだことを語ってもらった。

中越沖地震の証言1 株式会社リケン 藤井多加志さん 角川正文さん
各社の支援から多くを学びそれを伝え、広めていくことがわたしたちの恩返し

エンジンの重要な部品のひとつ「ピストンリング」の生産において、高いシェアを誇る株式会社リケン。自宅も被災しながら、柏崎管理室安全環境課課長の角川さんは10時30分には出社。情報収集や各方面への連絡と対応に追われながら、復旧には1カ月かかるだろうと推測した。「私は翌日に現地に入ったのですが、すぐに自動車業界各社から先遣隊が到着しました。そして、みんなで『1週間』と復旧の目標をたてると、その後は作業の段階に応じて必要な人材と物資を送ってくれたんです」とは、東京本社経営企画部の藤井さん。当初は自分たちだけで復旧させようと思っていたという。「でも、それは違う。自分たちの部品なくして自動車は作れない。最初は重機の専門、次は機器のエンジニアなどと、多い時で1日800人の方々が来てくれました。トヨタさんをはじめ全自動車メーカーが『復旧に人的・物的支援はいくらでも投入する。遠慮は無用』とまで言ってくれて」
 そして予定どおり、1週間後に操業が再開。だが、生産が軌道にのるまで支援は続き、生産性が過去を上回った時期もあるという。
「各社から派遣された保全業務における最新技術をもつ方々のおかげで、機械の稼働率も生産ラインの効率も上がったんです」と角川さん。続けて藤井さんは「各自動車メーカーが集結したのは例のないこと。一丸となり、しかも無償で復旧にあたってくれたのは、日本の企業の素晴らしさです。今後は、企業としての危機管理体制を構築すると同時に、そのノウハウを広く伝えていきたいと思います」

柏崎工場内は機器やラック類が転倒し、製品は散乱。
100tの砂を保管するタンクは倒れ、建物も一部崩壊した。

現在も建物の耐震補強や製品の落下防止などを継続中。

現在も建物の耐震補強や製品の落下防止などを継続中。

角川さん
藤井さん

各社が地域の人々にも支援をしてくれたことを思い「地域あっての企業という考えが大切」という藤井さん(右)と、震災当日はすぐに自転車で会社に向かい、支援の対応を行った角川さん。

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