大地震発生!! その時、何が起こる?
震度6強の地震によって、わたしたちの生活はどうなってしまうのか?
建物や交通網、ガスや水道などのライフラインなど、地震による柏崎市の被害を、今一度、振り返ってみる。
今回の地震で、特に被害が大きかったのは市の中心部。土壁の古い木造住宅や、間仕切りが少なく瓦屋根の重い神社仏閣が多かったこと、砂が堆積してできた地層が液状化を起こし、被害が拡大したためだ。「揺れのひどいボートに乗っているようだった」とは、松美町に住む主婦。地震直後、家の中は棚やたんすが倒れて中の物がすべて飛び出し、テレビやパソコンなどは落下して、一瞬で室内はめちゃくちゃになった。
柏崎市では、152世帯421名に避難指示・勧告が出され、学校やコミュニティセンターなど、82カ所に避難所を設置。ピーク時で1万1410名が避難した。災害時要援護者のために市内6カ所に福祉避難所が設けられ、社会福祉士や介護支援専門員が対応した。「家族と一緒にいたい」と、通常の避難所にベッドを設置するケースもあった。
震災下の生活で最も困ったのは、水とトイレだ。4万260戸の水道が止まり、全面供給は8月4日。特に女性は「トイレを使うにも、流す水がない。屋外で用を足すわけにもいかない」。自宅が無事でも、給水車などからポリタンクに水を入れて運び、生活用水として使用した。電気は2万3300戸が停電したものの、18日には復旧。暑さ対策として、扇風機やエアコンが避難所内に設置された。特に有効だったのは氷柱。溶けた水に触れたり、飲み物を冷やしたり、見た目にも涼やか、と好評だった。
一方、屋外では道路に亀裂が走ったり橋の両端に段差ができたりした。青海川駅付近で藻草を採りに海に潜っていた男性は「変な水圧を感じた。慌てて水面へ出たら、山肌が一気に滑り落ちて線路を覆った」。
物資運搬のためにも、道路の復旧は最優先で進められた。国が直接管理する国道8号、116号では、緊急時に協定を結んでいる建設会社が要請を受け、24時間体制で復旧工事を行った。一部を除き、翌日の夜には「とりあえず通れる状態」まで工事が終了。国道8号(大積千本地先)の崩壊も、休みない工事の結果、応急復旧が完了し、7月23日9時に開通した。「民間の協力なくして、迅速な復旧は不可能だった」と、長岡国道事務所副所長は言う。
避難所は8月31日に解消されたが、家屋が半壊以上(損害割合が20%以上)の場合は仮設住宅へ。入居は8月13日から始まり、ピーク時で39カ所に計981戸、2431名が入居。4月30日現在でも2252名が生活している。広さや機能は「特に不便は感じない」という声が多いが、「結露がひどい」「周りの音が響く」などの不都合もある。
現在の柏崎市は、新しく葺かれた瓦屋根が光り、新築工事などもあちこちで行われている。倒壊したままの家屋はあまり見られないものの、市の中心部では更地が目立ち、立ち入り禁止の建物や一部ブルーシートがかかった家屋もいまだに残るなど、再建の見通しが立たないケースも少なくない。「できるだけ個別に対応していきたい」と柏崎市役所は対策を練っている。
建物は倒壊 室内は家具が散乱
左/家屋の解体工事。(平成19年7月)
ライフラインを守るため交通網の復旧は最優先
上/全線復旧したのは9月13日。復旧工事のために取り壊された駅舎は3月25日から利用開始。新しい「日本一海に近い駅」として、その駅舎と風景を求めて全国から人々が訪れている。