記者の眼

“共助”してますか?

「どこ探しても、隣のおばあちゃんが見つからん。家の下敷きになってるんじゃないかね」
「そりゃいかん。誰か呼んでくるわ」
 2007年3月、能登半島地震が起きた直後の石川県輪島市を取材した際、至る所でこんな会話を聞いた。余震の続く中、家族のことのように隣近所の知人の心配をする様子に地域社会が持つ強いきずなを感じた。震度6強の揺れに襲われてから数時間しか経っていないにもかかわらず、同市内では早くも自宅周辺の片付けを始めるお年寄り、隣家の住民の安否確認に走る主婦たちの姿を垣間見ることができた。
 特に被害が大きかった観光名所の総持寺祖院(同市)の周辺は古い木造家屋が軒並み倒壊し、情緒ある門前町のたたずまいが一変して戦場のようになっていた。しかし、ここにも往来の邪魔になるからと、重いブロック塀のかけらを必死で片付けようとする高齢の女性、けがしたお年寄りを抱きかかえて車に乗せ、病院に向かう人がいた。
「年を取っているし、貯金もない。家の再建は無理だ」。崩れた家の前でため息交じりに話し、頭を抱えるお年寄りがいる一方、落ち込んだ人たちを励ます隣人たちの姿もあった。中山間地でも、集落総出で屋根から落ちた瓦を拾ったり、屋根をブルーシートで覆うなど住民同士が助け合う「共助」が自然に実践されていた。住民の一人は「山奥だから役場の人もなかなか来られない。自分でできることは自分でやるしかない」と話していた。
 震災から復興した能登を見届けないまま、翌年、私は福井支局から本社に戻ることになった。赴任早々の6月に土砂ダム対策が課題となった岩手・宮城内陸地震が発生。能登半島地震の当時を思い出しつつ、記事を書いた。7月にも岩手北部地震が起きるなど、仕事に追われる日々が続いた。
 そんなある日、取材に訪れたシンポジウムで、参加者の一人が「この会場にいる防災関係者のうち、どれだけの人が地元の防災組織に携わっているだろうか」と問い掛けるのを聞いた。何げないひと言だったかもしれないが、言葉が胸に突き刺さった。わが身を振り返り、「いま住んでいる地域の防災活動に貢献らしい貢献をしていないな」と、反省させられた。
 内閣府の2008年版防災白書では、「防災対策は、自助、共助、公助の3要素が効果的に組み合わせられることによって効果を挙げることができる」と訴えている。地域コミュニティが都市部に比べて保たれている北陸からの異動だったこともあってか、現住所であまり近所付き合いがないことが気になっている。首都直下地震が起きた時、東京では果たしてどれだけの「共助」が生まれるのだろうか。
 阪神大震災の際に生き埋めなどになった要救出者約3万5千人のうち「8割の約2万7千人が家族や近隣者により救助された」(03年版防災白書)という。隣近所同士で助け合う共助の大切さは、誰もが認める。ただ、実際に被災した時、どれだけ実践できるだろうか。あの日見た能登の人たちには及びそうもないが、いつか必ず来る首都直下地震の日に備え、私には何ができるか、自分なりの共助の仕方を考えている。

田井誠さん
共同通信社編集局内政部
田井 誠
たい まこと
2003年共同通信社入社。名古屋支社で愛知県警、遊軍担当などを経て、08年から内政部。

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内閣府政策統括官(防災担当)

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