第2節 令和3年8月の大雨による災害
(1)概要
令和3年8月11日以降、日本付近に停滞している前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、前線の活動が活発となった。この影響により、西日本から東日本の広い範囲で大雨となり、11日から26日までの総降水量が多いところで1,400ミリを超える記録的な大雨となった。8月12日には九州北部地方で線状降水帯が発生し、24時間降水量が多いところで400ミリを超える大雨となった。8月13日には中国地方で線状降水帯が発生し、複数の地点で日降水量が8月の値の一位を更新するなど、記録的な大雨となった。この大雨に対して、気象庁は広島県を対象とした大雨特別警報を発表した。8月14日には西日本から東日本の広い範囲で大雨となった。特に九州北部地方で線状降水帯による猛烈な雨や非常に激しい雨が降り続き、佐賀県嬉野市で24時間降水量が555.5ミリを観測し、観測史上一位の値を更新するなど記録的な大雨となった。この大雨に対して、気象庁は長崎県、佐賀県、福岡県、広島県を対象とした大雨特別警報を発表した。8月16日から18日にかけては、西日本から東日本の太平洋側を中心に広い範囲で雨となり、日降水量が九州南部や四国地方、近畿地方の多いところで200ミリを超える大雨となった。8月19日から22日にかけては、四国地方の太平洋側を中心に猛烈な雨や非常に激しい雨が断続的に降り続き、日降水量が多いところで200ミリを超える大雨となった。8月22日以降は台風第12号や台風から変わった低気圧の影響を受け、大雨となったところがあった。
(2)被害状況
令和3年8月の大雨により、長野県岡谷市の土石流や長崎県雲仙市の土砂崩れ、佐賀県の六角川の氾濫などが発生し、死者は13名(長野県3名、広島県3名、長崎県5名、熊本県1名、鹿児島県1名)、重傷者は4名(長野県1名、福岡県2名、長崎県1名)、軽傷者は13名となった。住家被害は、全壊が45棟、半壊・一部損壊が1,534棟、床上・床下浸水が4,887棟であった(消防庁情報、令和4年3月25日現在)。
(参照:https://www.fdma.go.jp/disaster/info/items/20210811ooame25.pdf)
この大雨の影響で、断水などのライフラインへの被害のほか、414件の土砂災害や26水系68河川で氾濫等が発生した。
また、この大雨における「災害救助法」の適用団体は6県13市7町1村に上った。
(3)政府の対応
政府は令和3年8月12日11時に官邸において情報連絡室を設置し、関係省庁災害警戒会議を開催した。同月13日8時45分に広島県に大雨特別警報(同時刻に情報連絡室を官邸連絡室へ改組)が発表されると、8時46分に菅内閣総理大臣(当時)から「国民に対し、避難や大雨・河川の状況等に関する情報提供を適時的確に行うこと」、「地方自治体とも緊密に連携し、浸水が想定される地区の住民の避難が確実に行われるよう、避難支援等の事前対策に万全を期すこと」、「被害が発生した場合は、被害状況を迅速に把握するとともに、政府一体となって、人命第一で災害応急対策に全力で取り組むこと」について指示が行われるとともに、9時50分に官邸連絡室を官邸対策室へ改組し、菅内閣総理大臣(当時)出席の下関係閣僚会議(第1回)を開催した。さらに11時30分には特定災害対策本部を設置し、15時に特定災害対策本部会議(第1回)を開催した(同月24日までに同会議を計9回開催)。また、同月15日9時15分には内閣府調査チームを佐賀県庁に派遣した。
8月21日には棚橋内閣府特命担当大臣(防災)(当時)が佐賀県と長崎県の被災現場を視察し、同月24日には赤澤内閣府副大臣(当時)が長野県の被災現場を視察した。
激甚災害の指定については、令和3年8月7日から同月23日までの間の暴風雨及び豪雨による災害として、令和3年9月28日に指定政令の閣議決定を行った(附属資料14-2参照)。