報告書(1923 関東大震災)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月
1923 関東大震災

報告書の概要

<はじめに>

 関東大震災は近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、その被害の大きさ、社会的インパクトとも比較を絶する災害であった。そのため関東大震災報告書は以下の三部構成で作成されることとなった(第5回専門調査会議事録参照)。

  • ○第一編 発災とメカニズム( 概要 報告書
  • ○第二編 救援と救済
  • ○第三編 復興と社会的インパクト
  • 第一編 発災とメカニズム

    第1章 被害の全体像
     1923(大正12)年9月1日正午2分前に発生した関東大地震はマグニチュード7.9と推定される、近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、南関東から東海地域に及ぶ地域に広範な被害が発生した。死者105,385、全潰全焼流出家屋293,387に上り、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生した。
  • 第2章 地震の発生機構
     関東大地震は、地殻を構成するプレート同士が、接触面で一気にずれ動くことにより生じた地震であって、震源域の近い地震としては元禄16(1703)年の元禄地震(推定マグニチュード8.2)があり、このような巨大地震の発生間隔は200〜400年と推定されている。
  • 第3章 地変と津波
     関東南部、特に神奈川県西部及び千葉県の房総地域においては、地震やその直後の大雨により、崩壊や地すべり、土石流などによる土砂災害が多数発生し、特に今の小田原市根府川では土石流により埋没64戸、死者406人という被害が発生したが、沖積低地や都心部の建物崩壊や火災の陰に隠れてあまり社会的関心をもたれなかった。
     東京湾岸部の干拓地や埋め立て地、相模川、荒川、古利根川などの河川沿いの低地においては地盤の液状化が起こり、地盤の陥没や地割れ、建物の沈下、傾斜、地下水や砂の噴出などの現象が起こった。
     相模湾周辺と房総半島の南端では最大高さ12m(熱海)、9m(館山)の津波が起こったが、各地で元禄地震や安政元(1854)年の東海地震の津波による災害経験が生かされ、地震直後の適切な避難行動により人的被害が最小限に食い止められた地域もあった。
  • 第4章 揺れと被害
     震度7の地域は震源近くに分布しているが、震度6弱以上の地域をみると、震源から離れていても1000年前の利根川、荒川の流路に沿って分布している。より細かくみると、かつての沼沢地や河川の流路だったところは震度が高くなる傾向がある。
     地震により米国流や煉瓦造りのビルが倒壊したのに対して、日本流の耐震設計のビルが被害軽微であったことを契機として、地震の翌年の1924(大正13)年に市街地建築物法の構造強度規定が改正され、世界で初めての法令による地震力規定が誕生した。
     当時日本列島には既に世界的にみてももっとも密度の高い地震観測網がしかれていた。濃尾地震を契機に設置された震災予防調査会は報告第100号を出して解散し、その事業は東京大学地震研究所に引き継がれたが、この報告書は後世も高く評価されている。
  • 第5章 火災被害の実態と特徴
     震災前の防火体制は人民保護を担う警察行政の一環とされてきた。消防組織は東京、横浜は専任の職員がおかれたが多くの地域はボランティア的な人々に担われていた。
     装備は当時の最新のものがおかれていたが水源を水道に頼っており、断水と火災の同時多発には対応できなかった。
     地震が昼食時に起こったこともあり竈(かまど)、七輪から同時多発的に火災が発生し、水道が断水したため最新の装備も役に立たず、おりからの強風によって火災はたちまち延焼し、消防能力を超えた。さらに避難者の家財などが延焼促進要因になった。逆に焼け止まりの原因をみると、破壊消防を含む消火活動や、広場や道路などの空地の効用がわかる。
     火災被害では東京市の本所被服廠跡地の悲劇が有名であるが、その原因といわれる火災旋風についてはまだ研究すべき点が残っている。横浜市においても市街地全域が焼失し、石油タンクの火災は12日間も続いた。
  • おわりに 〜関東大震災(第一編)の教訓〜
     ・関東大震災は近代未曾有の大災害であったが、被害を食い止めた例の検討を通じて、数多くの教訓を得ることができ、後の災害対策の礎になったと評価できる。それらについてはこの後の第二編、第三編において取り上げることとし、ここでは例示にとどめる。
    ・伊豆、房総を襲った津波の被害が最小限にとどめられたのは、過去の災害教訓の伝承がなされていたことによるものであった。
    ・消防体制において、地震と火災といった複数の要因に対応し得る備えがなされるべきである。
    ・また、建物の耐震化、空間や緑地の確保などの災害に強いまちづくり、災害時に町内で助け合って被害を軽減するような共助の取り組みなどに平時から取り組んでおくことが重要である。
  • <第二編 救援と救済>

    災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
    1923 関東大震災【第2編】
  • <第三編 復興と社会的インパクト>

    災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
    1923 関東大震災【第3編】
  • <広報「ぼうさい」>

  • 報告書(PDF)

    <第一編 発災とメカニズム>

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