東日本大震災(平成23年3月)
運転指令は「避難するので連絡絶つ」~まず15人の乗客の行き先を聞く~
宮古市 40代 男性 鉄道会社職員
インタビュー日:2012年9月10日
三陸鉄道の北リアス線の山中で、運転中に地震に遭いました。無線にノイズ混じりで「止まれ」という声が聞こえたので、地震じゃないかとは思いました。ただ、落石や倒木、揺れも感じていなかったので、低速で小さいトンネルや橋梁のところを避け、「もうちょっと前に出そう、もうちょっと前に」と、安全なところを見つけて止めました。止まる寸前、立ち木が1メートルぐらいの幅で揺れているのが見えて、大きな地震なのかなと感じました。
停車後、いつもの臨時停車と同じように、15人のお客さんの行き先を確認し、無線で連絡を入れました。止めてから20分以上たって、久慈にある運行部からの無線で「こちらは津波が来るので避難する。この先連絡が取れないかもしれない」と判断を任されました。
私の得た情報は「大きな地震で何分か後に3メートルの津波」ということ。まず、お客さんにその情報を伝え、「この場所は30から40メートルは確実にあるので安全です。すみませんけど、これから先、私の指示に従っていただきます」と、若干強目の口調で話して、無理矢理、納得していただきました。
高校生はワンセグを見て「仙台でマグニチュード7、いや震度7だ」と半信半疑でしたが、それでも明るく振る舞うのを見て、自分も冷静でいられたのです。
その時点では、5つ先の島越駅が津波に流されていたとは知りませんでした。ただ、日々の乗務で付近の道路も知っていたし、保線係として歩いた経験や土地勘もありましたので、お客さんに「ここは安全だから、ここで待ちましょう」と言えたのです。
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