「急に大家族」

阪神・淡路大震災(平成7年1月)

急に大家族
~いつもと違うお母さん~

(神戸市 20代 女性 学生)

当時5歳でしたが、幼稚園がいつ始まったのかは覚えていないんですよ。地震の後のことで思い出すのは、そんなに大きくもないうちの家に、おじいちゃん一家が避難してきていて、1階におじいちゃん、おばあちゃんとお父さんの妹とそのだんなさん、2階にうちの家族4人で、一緒に生活をしていたことぐらい。

私たちがおじいちゃん、おばあちゃんのところに行くのは正月ぐらいやったんです。なので、一緒に暮らしていて、お母さんがいつも気を使っているのは子供ながらにわかりました。

ある時、私が缶の紅茶を飲んで、プルタブを指でカンカンカンカン鳴らしたんです。みんな地震でいろいろな音とかに敏感になっていたから、おじいちゃんが「何の音や」って、イライラした感じで大きい声を出したんです。そしたら、お母さんが「あ、子どもが遊んでいるだけです」って。言葉遣いも、いつものお母さんじゃなかったから、一緒に暮らしていた間は私もすごく敏感になっていたのを覚えています。

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