私は生きる、津波で死んだ家族の分まで

東日本大震災(平成23年3月)

私は生きる、津波で死んだ家族の分まで

(宮古市 90代 女性)

私は生きる、津波で死んだ家族の分までのイラスト

私は昭和8年の津波(昭和三陸津波)を知っています。昭和8年3月3日でした。夜中に地震が起きて、何が何だか分からないまま、近所の人と一緒に山へ逃げました。

波が来て、みんなさらっていきました。家族も家も。小学校5年生の時です。実家は商家で、何不自由なく育っていたのに、一夜にしてひとりぼっちになりました。

それからは宮古の親戚にお世話になったり、北海道の果てまで行ったりして苦労しました。すがる人もなく、何度天井を見つめて夜を過ごしたかわかりません。それでも、「ふるさとに帰りたい」の一心で辛いことも我慢しました。津波で死んだ家族の分まで生きようと思いました。

ふるさと田老に戻り、結婚して子どもを育てあげ、幸せな生活を送っていたところへ、また、あの時と同じように大津波がやってきました。

田老にも今回の津波で親を亡くした子どもたちがいっぱいいます。私は、その子たちに「頑張れ、自分のためだ。頑張るしかない」と言いたいです。

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