東日本大震災(平成23年3月)
言えなかった「おふろをどうぞ」の一言
新地町 60代 女性 団体職員
インタビュー日:2012年9月19日
私の暮らす地域は地震と津波で大きな被害を受けたのですが、自宅は高台にあったので何とか無事でした。家族も全員無事で、電気・水道・ガスも大丈夫でした。
しばらくして無線に耳を傾けると、毛布がほしいと聞こえたので、急いでありったけの毛布を近くの避難所に届けました。そこで食べ物が不足していると聞き、家に帰って「早炊きモード」でごはんを繰り返し炊いて、今度はおにぎりを届けました。
その後、知人を探しに避難所を転々としているところを消防団の息子に会い、その場で炊き出しの手伝いをすることになったのです。次に、落ち着く間もなく老人ホームで1週間ほど見守りボランティア。そのうちに災害ボランティアセンターが立ち上がったので申込みに行き、そのまま3、4日、仕分けボランティアをしました。
こんな感じで行く先々で求められるまま、できる限り支援活動を続けたのですが、心残りなのは、支援者側にいた被災者を気遣ってあげられなかったことです。一緒に支援活動をする仲間に、「おふろに入りに来ませんか」の一言が、どうして言えなかったのか悔やまれます。自分が被災しながらも懸命に働いている人はたくさんいます。そういう人への配慮こそ忘れてはいけないのだと思います。
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