東日本大震災(平成23年3月)
屋根に避難し九死に一生 甘かった想定
気仙沼市 40代 男性 漁協職員
インタビュー日:2012年9月22日
地震のときは、会社にいました。自宅が川沿いにあったので家族のことが心配で、4キロの道を自転車で走り自宅に戻りました。既に家族は避難した後で、家にはだれもいませんでした。そうこうしているうちに津波、火事と大変なことになり、ベランダから屋根へと避難しました。屋根の上から見える光景は、人が乗ったまま流される車や、家が激流にのみ込まれて流されるという信じ難いものでした。かといって助けることもできずに、ただただ見過ごすことしかできませんでした。今でも胸がつぶれそうになりますし、半年間は夢でうなされました。
ここももう危険だと思い、ちょうどその場にいた4人と助け合いながら、ふだんなら歩いて15分ぐらいのところを1時間かけて中学校に避難しました。3日目に家族の安否は確認できました。震災2日前にたまたま津波が来たら2階に逃げようと話合いをしたばっかりでしたが、今回の地震はそんな避難では駄目なことがわかりました。
「想定外」を考えて、日ごろから家族と話し合い、避難場所をきちっと決めておくことです。そして、迷わずにその避難場所を目指すことです。まずは自分自身の身を守ることです。
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