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消防分団長でなければ、戻りたかった自宅~妻娘失い、行動の記憶ない~

東日本大震災(平成23年3月)

消防分団長でなければ、戻りたかった自宅~妻娘失い、行動の記憶ない~

宮古市 40代 男性 消防団員

消防分団長でなければ、戻りたかった自宅~妻娘失い、行動の記憶ない~のイラスト
インタビュー日:2012年9月9日

古い防波堤の近くにある工場で地震に遭いました。外に出てみると地面が波打っていたので、揺れが収まってからポンプ車に乗り、海に近い水門を閉めに行きました。その後、警報が出て、家業の石材工場近くの水門も閉めに行き、付近の人を小学校へと避難誘導しました。

津波の情報も入らず、状況がわからないまま、小学校近くの水門を2人の団員と閉めに行き……大きな津波が来たのは、その直後でした。1人は川を流されてきて助かりましたが、1人はそのまま行方不明となり、あとで見つかりました。

避難先の小学校では、児童の家族が車で迎えに来たとき、引き渡すかどうかでもめました。安全を考え、留まるように説得したのですが……。更に悲しいことは、おばあさんが自転車で迎えに来て一緒に帰った小学生が、津波の被害に遭ったこと。あのとき、止めておけばよかったと、悔やまれてなりません。

私も、妻と娘を亡くしました。消防分団長という立場もあり、地震の後、自宅に戻れなかったのです。しかし、戻っていたら、自分も流されたかもしれません。今はまだ、妻子の最期の場所を見届けておきたい気持ちと、そこには足を踏み入れられないという複雑な気持ちでいっぱいです。そこに立てるまでには、まだ時間がかかるかも知れません。

私には、震災直後の記憶が全くありません。消防分団長として目の前のことは処理していましたが、頭の中は家族のことだけでいっぱいでした。

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