東日本大震災(平成23年3月)
消えない山火事、消防団の出動続く
宮古市 50代 男性 消防団員
インタビュー日:2012年9月9日
宮古のほうにちょっと買い物があったので車で走ってたら、なんか揺れて「車がパンクしたかな」と思ったら、停まっても揺れている。あれっ、これ地震だ。とんでもねえ揺れだなと思って。そのときは通じる気がしてかけたら、携帯も全然通じない。すぐ引き返して、うちまで20分ぐらい。
太平洋というか、みんな真っ白になっていた。若い団員が来て、電話連絡がつかないから、田老の消防に行ってこいって言ったらすぐ戻ってきて、田老もそんな状態だと。暗くなってまだ余震もあるから、捜索は明日の早朝からすっぺということにしたんです。
道の駅に避難してきた人が、田老の町が火事だ、山から家から火事だって言われたので、連絡が取れない団員もいたのですが、「行くべ」って行ったら、山から家からもう火事で。
住民の人と、水利がどこだとかって、3人でどうにかこうにか次の朝まで消火活動をやったのかな。朝の4時半くらいだったかな。すっかり濡れたから寒くなって、「1回着がえしてくっぺ」って、着がえして、すぐまた、田老のほうにおりた。
火災は4カ所で起きてて、2か所が津波による民家火災から延焼、もう1か所は車が燃えながら山に漂着して火災が発生。翌日には沢のほう。暖をとるためのたき火の不始末なのかもしれないけど、そんなことは責められないです。
なんぼ消しても、行くとガスがシューって音をたてていて、「逃げろ、逃げろ」と、またぼーんと燃える。杉の枝が二重にも三重にも重なって、水かけても最初のころは消火できなかったです。
風が吹くたびに火災出動があって、最終的には、19日までかかりました。その間、捜索もしながらです。19日には、もう絶対にここから火を出すなよっていうんで、しつこいくらい水かけたのは覚えてます。
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