東日本大震災(平成23年3月)
工事用看板で急造担架 ~救助を続けながら本部を探す~
宮古市 50代 男性 消防団員
インタビュー日:2012年9月9日
津波が収まった後、ポンプ車も流されてしまい、1人では救助活動も火災対応もできないので、まず本部に連絡しようと思いました。途中で、海を見に来た人や工事の人が避難している高台で人数を確認し、たまたまそこにいた同級生と一緒に山を越えたりして戻ってきました。津波の時には、消防団のポンプ車を避難させて本部を設置することになっている中学校の校庭に向かいましたが、そこには本部がありませんでした。
いったん、知り合いから懐中電灯を借りて総合庁舎に行って、避難している人たちのために持てるだけ毛布を持って中学校に戻りました。その後も、あめとか水とかを総合庁舎に取りに何往復かしたり、消火活動に当たっていた署長を案内したり。その日は、結局、寝たのか寝ないのか分からなかったです。
次の日は、朝から6人ぐらいで海の近くの方に救助活動に行き、前日に避難していた人を確認しながら、海岸近くの高台にある旧国民宿舎跡地へ行き、工事用の看板を外してロープで応急担架を作っておばあさんを下ろしたりしていました。
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