東日本大震災(平成23年3月)
「並んでください」とマスコミ対応一元化 ~物資への質問には足りていますと回答~
宮古市 40代 男性 市役所職員
インタビュー日:2012年9月10日
私は震災当時は農業課だったのですが、合併前の田老町の防災担当から6年ぐらい危機管理にいたので、震災の時には田老地区での活動、マスコミ対応から、引き受けてやっていました。田老地区の総合庁舎には、地域振興課とか農業課とか林業課とか色々な課があったのですが、津波の瞬間にいた職員は、組織横断的に、誰誰さんは何をと、職務を割り当てて、課とか関係なく分担して動いてもらいました。
田老地区でのマスコミ対応も、色々な人たちへ取材・質問がいくだろうけど、職員は誰も答えないでくださいと言いました。答えるのは1人だけにしぼりましょう。誰も答えないで、みんな私のところに紹介していいから私の名前言ってくださいとお願いしました。特に「物資は何が必要か」という質問には答えないでください、という話をしていました。
たくさん集まるマスコミには、「順番に並んでください」と言って、私が何か対応している時には待ってもらいました。次々とマスコミの質問をこなしていき、「何が足りていませんか」という質問には足りていますと回答しています。
自衛隊とか県と物資の調整では、何をいくつ、何日までに欲しいとか、これは一週間経ったら必要ないとか、結構細かく書いて渡していました。それで調達できないものは、直接、ボランティアとかに相談したりして、やりくりしていました。
被災した地区と、被災していない地区との気持ちのあつれきがあるわけです。直接は被災していないけど、道路が通れなくてライフラインも途絶えている中で食料も調達できない、家が無事だから避難所にも行かない地区がある。ボランティアが色々な支援に入ってきたときに、避難所には自衛隊が炊き出しもやっているので、地域の会長さんとかキーマンになる人を紹介して、「この地区に行ってこの人に相談してください」と、ボランティアを差し向けるようなこともやっていましたね。
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