東日本大震災(平成23年3月)
計画上、何でもかんでも「生活課」~ほしかった「生活支援室」の支援室~
宮古市 30代 男性 市役所職員
インタビュー日:2012年9月10日
震災前の地域防災計画見直しの際、市民生活部にはものすごい業務量があったので、有事の際にはとても対応できないと返事をしていました。
地域防災計画の想定をはるかに超えた震災が起こり、いざ危機管理課に「何をすればいいですか」と言ったら、地域防災計画どおりに動けという指示でした。市民生活部は、避難所の担当もあり、食料の手配に始まり、次々と業務が増え、身動きがまったくとれませんでした。また、全国からの支援物資をどこに保管しようかということになり、翌日には体育館にシートを引きに行きました。翌々日には毛布等物資が届きました。通信機器が使用できない状況で、6万食の食料がヘリコプターで届くという情報が実際はがせネタだったり、様々な情報が錯綜してすごい状態でした。
4月以降も、避難所の統廃合や片付けに追われました。さらに、義援金の支払事務が生活課の担当になり、阪神大震災の際に作られた被災者支援システムが届いたのですが、改修に時間がかかることが分かり、最初の支払いから3回目まではシステムを使用せず支払いを行いました。応援職員の方もいらっしゃいましたが、最初は1日交代だったので交代すればまた一から説明が必要で、時間がない中かなりの労力が必要でした。ほんとに震災からずっと寝ないで動いていた状態だったので辛かったです。
6月には、生活課の中に被災者支援室ができました。支援体制への不満や仮設住宅でのもめごとなど重い内容の対応も多く、精神的にも辛い状態が続きました。私は「この支援室に、支援がほしい」と、心から願っていました。
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