東日本大震災(平成23年3月)
「記録を残すしかない」とカメラ持ちだし、がれきの市内に ~撮っておけばよかったふだんの光景~
宮古市 30代 男性 市役所職員
インタビュー日:2012年9月10日
ふだんは広報の仕事で外出が多いのですが、あの日は市庁舎の4階にいました。津波の情報が出ると、記録のためにカメラを持って海岸や海辺の高台に行ったりしていたのですが、あの日は地震の揺れが長くて大きかったので、庁舎4階のベランダに出て、カメラを手に河口を見ていると、津波が川に上がってきました。
津波が堤防を越えて来る瞬間、必死にシャッターを切り続けていたら、津波は市庁舎の1階を壊して町の方にへと流れ込んできました。さすがに「まずいな、建物が壊れるんじゃないかな」と思って、一瞬、家族のことを考えました。
でも下を見ると、1階の部分は壊れていましたが、何とか大丈夫そうだったので、今、自分にできることは「記録しかない」と思って、また気を取り直して、暗くなるまでその場所で写真を撮り続けました。
翌日、明るくなってから、また記録の写真を撮り始めました。町の人たちが、対岸から自転車や徒歩で橋を渡って、津波で泥だらけになったところに下りてくるのが見えました。
3日目になって、公用車も流されて身動きが取れないので、徒歩で行ける範囲でカメラを持って記録に留めようと同僚と2人で歩き回りました。まだこの日の昼過ぎまで津波注意報が解除されておらず、頻繁にサイレンが鳴って、高台に逃げながらまた降りては撮って。思うようにはかどりませんでした。
課長からは、なかなか戻ってこないので非常に心配され、戻ってから怒られました。ただ、課長も広報担当の経験があった方なので、「出るなとは言わない。気をつけて、出ろ」と言ってくれました。数日はそのまま、がれきの市内を記録し続けました。
撮影しながら浮かんできたのは、「何もない時の街並みを撮っておけばよかった」という虚(むな)しさでした。
thh25012