平成12年(2000年)有珠山噴火(平成12年3月)
避難より商品の出荷
~避難勧告も聞き流す~
(洞爺湖町 70代 女性)
噴火の3日前には、ちょこちょこと身の回りのものを記憶に残るところに集めてみたり、懐中電灯を各部屋に置いてみたりし始めていました。次の日は、倒れても中の食器が外へ飛び出して壊れることのないように、食器棚のガラス戸と中の食器との間に全部、段ボールを入れました。
ここに越して来たときから、山が近くにあるから気をつけなきゃと、背の高い家具とかは、部屋の中に一切置いていませんでした。だから、いつでも避難所へ行く準備はできてはいたんですよ。
うちはホテルなどに食品を納める商売をしているものですから、ストップするとお客様に迷惑がかかるので、男連中は大急ぎで食品をトラックに積み込んでいました。で、みんな出荷作業に夢中になっていたから、当日も噴火したことさえ気づかずに、嫁からの電話で山を見て驚きました。
あんなに「出なさい、出なさい」って、勧告まで出ていたのに、家にいたなんて言ったら、しかられちゃいますね。私は昭和52年の噴火を知っているものだから、どこかに、「前に比べたら、まだ大丈夫」といった気持ちがあったのだろうと思います。