「避難所は20〜30人で班作り」

平成12年(2000年)有珠山噴火(平成12年3月)

避難所は20~30人で班作り
~苦情に応え勉強場所や遊び場にも配慮~

(洞爺湖町 60代 男性)

避難勧告が出て、知り合いの家に1週間ぐらいお世話になってから、伊達のカルチャーセンターに頼み込んで避難させてもらいました。当時そこには7、8百人いたと思います。最後に入れてもらったために、最初の1週間ぐらいは2階の廊下に寝泊まりしていました。

私は、そこから避難所運営に関わることになったわけですが、20~30人でひとつの班を作って、皆さんの困り事だとかは苦情係みたいなものが聞いて、それを班長へ伝えて、班長さんが私ともう1人の方に申し入れるというやり方をとりました。

みなさん、だんだん慣れてくるにつれて、トイレの数が足りないとか、洗濯機が足りないとか、洗濯機の回す時間が遅くてうるさいとか、子供たちが勉強する場所がないとか、子供たちが騒いでうるさいとか、避難しているのに飲んでいびきをかいてうるさいとか、苦情が次から次へと出てくるんですね。それらをひとつひとつ処理してゆくのに悩んだこともありました。

僕らのところは他の避難所に比べて建物も立派だし恵まれていたと思うのですが、避難生活が長引くと、いろいろな苦情が出てくるものなのですね。

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