平成12年(2000年)有珠山噴火(平成12年3月)
安全な時期に学ぶ山と共生の大切さ
~火山防災への地域の積み上げ~
(壮瞥町 50代 男性)
前回の噴火を経て昭和新山 ※ 50年の実行委員会でできた共通認識は、私たちの住む街は観光地で、明るい陽の部分もあれば、陰の噴火もあるということでした。それはもうほんとに背中合わせです。奇しくも昭和52年は、火祭りの日でお客さん呼んでにぎやかにという時に噴火になっちゃった。100%逆転しちゃう感じ。それは非常につらいことなんだけど、あとの30年ぐらいは、ちゃんとすべての恩恵を受けられるわけですね。
そういうことは、やっぱり歴史と経験で培っていくもので、噴火のメカニズムや、地域の特性というものを、安静期といいますか、平穏な時期に、子供も含めて学ぶ機会を持つことって必要なんだろうなと思います。
子供郷土史講座なんかで子どもたちを集めて、一緒に昭和新山に登ったり、大学の先生などの話を聞いたりというのも、重要なことですよね。そういうことが定期的に行われているということが、この町の地域力というものなのではないかなという気がします。
※昭和新山とは、昭和18年に畑がいきなり隆起し、いまでは標高407mまで隆起した活火山です。