平成30年北海道胆振東部地震・全道停電
停電の朝に卵焼き、階段の車椅子も支援
同業者の旅館の対応に大変さ推察
60代 女性 旅館経営
その日は、久しぶりに海外から帰ってきた息子と私たち夫婦、父と叔母の5人で定山渓に泊まりに来ていました。ごちそうを食べ、「やっと帰ってきて良かったね」と言いながら寝たのですが、揺れで目が覚めました。後から定山渓の地盤がとても良いと分かったのですが、それほど大きな揺れは感じませんでした。家族がテレビを点けようとした時に、「テレビなんかつける必要ある?」と言ってしまったぐらい。テレビで大きな地震だったんだと思った途端に、停電になったけど、あんなことになるとは思わずにまた寝ました。
翌朝は炊事の音とか卵焼きの匂いとかが漂ってきて起きました。携帯で全道停電のニュースを見て、どうも大変なことになっているなと気づきました。旅館を営む私は、いつもは朝食を出す側なので、電気が復旧しない状況で、宿泊客の朝食を用意する宿の人は大変だなと思っていました。叔母は車椅子なので、エレベーターが使えずあたふたしていると、旅館の方が何人も来て、階段で下に降ろしてくれました。朝食は、ほとんどまっ暗な中で食べました。
帰りの車の中で、ようやくラジオが聴けて、テレビを見ることができました。「全道停電!これは大変なことになった」と、急に現実が襲ってきました。息子はその日、書き換えたパスポートを受け取って飛行機に乗る予定で、どうするどうすると家族会議になりました。「不要不急」と言いますが、「要」で「急」の用事と災害が重なると、本当に大変でした。
帰ってきてからは、地元には珍しい7階建てのサービス付き高齢者住宅に住んでいる叔母は、エレベーターが動かず車椅子で生活ができないので、私が服を取ってきて、しばらく我が家で寝泊まりしていました。