特集 東日本大震災から10年
~新しいまちの姿と強化された防災力~



地域の実情を生かしたまちづくり

 宮城県も10年間にわたる「宮城県震災復興計画」の期間を終え、災害公営住宅1万5823戸の整備がすべて完了したほか、195地区の防災集団移転促進事業や35地区の土地区画整理事業、12地区の津波復興拠点整備事業も完了し、被災地の新しいまちづくりやなりわいの再生は着々と進んでいます。

 交通インフラでは、令和3年3月に気仙沼湾横断橋が供用開始したことで、県内の三陸縦貫自動車道が全通しています。また、同4月には東北最大の有人島で、東日本大震災の際に津波と火災で孤立するなど大きな被害を受けた気仙沼大島と本土を結ぶ気仙沼大橋が開通し、それまでフェリーに頼っていた島との往来が改善されました。

 復興による新しいまちづくりでは防災力の強化に重点が置かれています。2種類の想定津波に対する考え方は岩手県と同様で、L1津波においては防潮堤などのインフラによる「防護」、L2津波では住民避難を柱とした「減災」を基本としています。防潮堤の高さは湾の形状や山付け等の自然条件から地域ごとに設定され、従前より高くなり、構造も強化されました。また、海岸は防潮堤に加えて、樹林帯による「緑の防潮堤」や盛土によるかさ上げ道路などを配置する多重防御が施されています。

 まちづくりは、住居の高台移転を基本としつつ、地域の実情に合わせた整備が行われています。津波の被害を受けた旧市街地は多くの場合かさ上げを行ったうえで、商業施設や公園、震災伝承施設などが整備されています。

 南三陸町の志津川地区では、低地にあった住宅地や市役所等の施設を高台へと移し、かつての市街地は、災害遺構となっている南三陸町防災対策庁舎を囲むように盛土によるかさ上げがされ、南三陸町震災復興祈念公園が整備されています。盛土された道路沿いには、震災後には仮設商店街だった「南三陸さんさん商店街」が移設され、にぎわいを創出しています。

 女川町では、住宅地を高台移転したうえで、高い防潮堤は設けずに従来の市街地をかさ上げする形で、新装されたJR女川駅前に温泉温浴施設や商店街「シーパルピア女川」「地元市場ハマテラス」、公共施設「女川町まちなか交流館」などが設置され、「海が見える」にぎわい拠点となっています。

 確実な津波避難に向けた取り組みも進めています。東日本大震災を契機に修正された津波対策ガイドラインに基づき、避難について徒歩を原則としながらも、避難行動要支援者等への配慮や地域の実情に応じた自動車での避難を検討することや、避難誘導等に従事する者の安全確保、情報伝達手段の整備など、課題の整理を行いました。

 亘理町や山元町では、低平な土地が広く徒歩避難では高台に到着するまでに時間がかかるため、自動車を使用した避難訓練を実施し、避難所までの所要時間等を避難者等が自ら確認し、渋滞箇所などの実態を把握するなど、自動車避難の課題の検証を行いました。また、県ではみやぎ防災教育副読本「未来への絆」を、園児向けから高校生向けまで年代に合わせて6種類作成し、防災教育に取り組んでいます。

災害遺構として残る「南三陸町防災対策庁舎」と防潮堤と同じ高さで整備された河川堤防。背後に見えるのはかさ上げされた土地に移設された「南三陸さんさん商店街」(南三陸町志津川地区)

災害遺構として残る「南三陸町防災対策庁舎」と防潮堤と同じ高さで整備された河川堤防。
背後に見えるのはかさ上げされた土地に移設された「南三陸さんさん商店街」(南三陸町志津川地区)

高台に移転した住宅地と旧市街地に整備された「海が見える」にぎわい施設(女川町)

高台に移転した住宅地と旧市街地に整備された「海が見える」にぎわい施設(女川町)

本格復興が始まった原子力災害の被災地

 東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響を強く受けた福島県では、避難指示区域等が設定されていたことから、復興が手つかずの地域が多く残っていました。しかしその後の空間線量率の低下や除染が進んだこともあり、令和2年3月には帰還困難区域を除くすべての地域で避難指示解除が実現し、これらの地域でも復興やなりわいの再生が始まっています。

 また現在も残る帰還困難区域の中にも、避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」が設定されています。双葉町の中野地区復興産業拠点もそのひとつで、ハイテク分野や研究分野を中心に新たな産業基盤の構築を目指す「福島イノベーション・コースト」構想の一端を担います。現在工業団地や双葉町産業交流センター、宿泊施設などが整備されているほか、令和2年9月には東日本大震災及び原子力災害という未曽有の複合災害の記録と教訓を後世に伝える施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープンしています。

 東日本大震災・原子力災害伝承館は世界初の甚大な複合災害の記録や教訓と、復興過程を収集・保存・研究し、風化させず後世に継承・発信し世界と共有するための拠点となる施設であり、さまざまな人々や団体と連携することで、地域コミュニティや文化・伝統の再生、復興を担う人材の育成などを通じて、復興の加速化に寄与することも目的としています。

 中野地区復興産業拠点に隣接する、双葉町から浪江町にかけての海岸沿いには、「福島県復興祈念公園」の整備が進められています。公園の中心部には東京電力福島第一原発の排気筒や、津波の被害を受けた住居跡などを一望できる「追悼と鎮魂の丘」が計画されており、東日本大震災・原子力災害伝承館と合わせて、震災の記憶と教訓の後世への伝承を担います。

 いわき市の小名浜地区では、「津波避難のための懇談会」を開催して東日本大震災の際の避難時の課題を洗い出し、新たなまちづくりに反映しています。新設された大型商業施設は住⺠、観光客等が⾼台までの避難に⼗分な時間が確保できない場合の緊急⼀時避難施設となるほか、防災ワークショップ等にも開催されており、伝承施設としての機能を有する水族館「アクアマリンふくしま」とともに地域の観光振興を担います。

 それぞれの被災地ではこの10年で防災力を強化した形で復興が進んでいます。いっぽうで、自治体の復興担当者は「ハードの整備は終わっても、被災者の心のケアには終わりはない」とも語ります。東日本大震災十周年追悼式での天皇陛下のお言葉のように「心を合わせて被災した地域の人々に末永く寄り添っていく」ことや、首相が表明した「切れ目のない支援」を、私たち一人ひとりがこれからも続けていくことが重要です。

中野地区復興産業拠点にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)

中野地区復興産業拠点にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)


整備中の「追悼と鎮魂の丘」予定地(浪江町)

整備中の「追悼と鎮魂の丘」予定地(浪江町)



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