不屈の大地 Build Back Betterの軌跡

行幸通り(東京都千代田区)・大正12年(1923) 関東大震災からの復興

大正12年(1923)9月1日の正午頃に発生した「関東大震災」は、死者・行方不明者、被災家屋ともに相当数にのぼるなど、明治以降の自然災害の中で最大の被害をもたらしました。

大正12年(1923)9月1日、マグニチュード7.9の巨大な揺れが発生したのは、午前11時58分。昼食のために火を使用する時間帯と重なったこともあり倒壊した家屋から次々に出火、首都圏は壊滅的な被害を受けました。

地図

これを受け、震災復興事業は世界的にも前例のない大規模なものに。約3300haの土地区画整理事業が実施され、鉄筋コンクリート造の小学校や鉄製の橋梁に代表される公共施設やインフラ、隅田公園や山下公園など大小の公園、今日の東京の骨格をなす174路線・260㎞にわたる幹線道路網など、近代的な街並が整備されていきました。

皇居前の和田倉門交差点から東京駅丸の内中央口前までを真っ直ぐに結ぶ「行幸通り(東京都道404号皇居前東京停車場線)」もその一つ。幅員約73mの風格ある道路は、秋が深まると4列のイチョウ並木が黄金色に色づいて圧巻の美しさを見せるほか、平成29年(2017)からは東京マラソンのフィニッシュエリアとして3万人以上のランナーを出迎えるなど、まさに“東京の顔”ともいえる光景が広がっています。

「宮城前の罹災民」と題された絵葉書。大震災直後、宮城前広場(皇居前広場)にはたくさんの人々が避難しました。(資料提供:東京都立中央図書館)

「宮城前の罹災民」と題された絵葉書。大震災直後、宮城前広場(皇居前広場)にはたくさんの人々が避難しました。
(資料提供:東京都立中央図書館)

現在の皇居前広場。年間を通じて多くの人々が訪れる“憩いの場”となっています。(写真提供:国民公園協会 皇居外苑)

現在の皇居前広場。年間を通じて多くの人々が訪れる“憩いの場”となっています。
(写真提供:国民公園協会 皇居外苑)

また、近くの大手濠緑地で見られる「震災いちょう」は、復興事業でこの地に移植された樹齢約150年の巨木。関東大震災による火災で黒焦げになりながら奇跡的に生き残っただけでなく、翌春には新しい芽が吹き出し、「関東大震災の奇跡」として被災から立ち上がろうとする人々に大きな勇気を与えたのです。

気象庁前交差点に面した大手濠緑地にある「震災いちょう」。震災から奇跡的に生き残った姿は、人々に復興への希望を与えたことでしょう。(平成30年3月末までは周辺整備のため見学できません。)(写真提供:国民公園協会 皇居外苑)

気象庁前交差点に面した大手濠緑地にある「震災いちょう」。震災から奇跡的に生き残った姿は、人々に復興への希望を与えたことでしょう。
(平成30年3月末までは周辺整備のため見学できません。)
(写真提供:国民公園協会 皇居外苑)

表紙の写真

東京駅と皇居をまっすぐに結ぶ行幸通り。
秋が深まると、合わせて4列のいちょう並木が黄色一色に染まります。
並木に挟まれた内側の道路は皇室の公式行事や外国大使の信任状捧呈の際の馬車列など、特別な場合に使われます。

表紙絵

(写真提供:アマナイメージズ)

Build Back Betterとは

「Build Back Better(より良い復興)」 とは、2015年3月に宮城県仙台市で開催された「第3回国連防災世界会議」の成果文書である「仙台防災枠組」の中に示された、災害復興段階における抜本的な災害予防策を実施するための考え方です。

本シリーズでは、災害が発生した国内外の事例を紹介し、過去の災害を機により良い街づくり、国土づくりを行った姿を紹介いたします。

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