過去の災害に学ぶ 39‐内閣府防災情報のページ

元禄地震(1703年12月)

元禄地震の江戸と関東大震災の東京は、ほぼ同じ揺れに見舞われたと考えられている。しかし、その死者数は、関東大震災がはるかに元禄地震を上回る。二つの地震を比較し、大きな死者数の差が生じた原因を解説する。

武村雅之(名古屋大学減災連携研究センター教授)

元禄地震の被害と関東大震災

震災は地震が引き金となって人間が起こすもの、つまり震災の大きさには、震源の条件だけでなく被災する人間側の条件が大きく影響している。1923(大正12)年の関東大震災は、首都東京が史上最悪の被害を被った自然災害である。その理由を220年前に発生した元禄地震と比較することによって考えてみよう。元禄地震は関東地震と同様に相模トラフで発生する海溝型巨大地震であったと考えられている。
元禄地震は元禄16年11月23日(西暦1703年12月31日)の未明に発生した。地震の規模はマグニチュードM7・9〜8・2とされ、1923(大正12)年の関東地震(M=7・9)よりやや大きい。図1に震度分布の比較を示す。元禄地震に対しては、古文書に記載されている限られた被害や揺れの情報から震度を求めているために地点数が少なくなっているが、それでも神奈川県南部や房総半島南端では互いによく似た分布をしていることが分る。

図1 元禄地震と関東地震の震度分布の比較(左)1703年 元禄地震(右)1923年 関東地震[神田・武村(2007)]

次に2つの地震の被害を比較する。表1は元禄地震の被害集計、表2は関東大震災の集計である。死者数に着目すると、まず元禄地震で大火災が発生した小田原を含む小田原藩領では、対応する足柄下郡と足柄上郡での関東大震災の被害の合計値に比べほぼ同じ程度であったことが分かる。さらに甲府領と山梨県、駿河・伊豆と静岡県でも、住家の全潰数も含め両者の死者数はほぼ同じオーダーであったことが分かる。

表1 元禄地震の被害集計[宇佐見(2003)に加筆]

表2 関東大震災の被害集計[諸井・武村(2004)より作成]

一方で、死者数が明らかに異なるところもある。一つは房総半島で、元禄地震の方が関東大震災の千葉県に比べてはるかに多い。これは元禄地震の震源断層が外房沖まで伸びていたために、九十九里浜などでの津波が高かったことによる。

元禄地震における江戸と関東大震災の東京とでは、震源断層の位置から考えてほぼ同じような揺れに見舞われたと考えられる。それにも関わらず元禄地震による江戸の死者数は関東大震災の東京のそれに比べてはるかに少ない。もちろん、元禄地震で判明している江戸の被害が史料の欠落などによって過少評価されているという可能性は完全には否定できないが、直後に火災も発生せず、幕府が江戸市民に救済令を出したという記録がないことも事実である。ちなみに当時の江戸にはすでに70万人もの人々が暮らしていた。

元禄地震の10年余り前の1689年(元禄2年)に出された「江戸図鑑綱目」という地図がある。この地図を見ると隅田川の東側の本所方面では黒釘(黒く塗られた状況)が目立ち未だに町名が刻まれていないところが多い。本所が町奉行所の管轄支配下にはいるのは1690(元禄3)年のことであり、深川はさらにそのあとであろう。つまり隅田川の東側の本所、深川には元禄地震当時いまだに湿地帯の名残が強く、ほとんど人が住んでいなかったようなのである。

そこで関東大震災の東京市15区の被害を隅田川の西側の13区と東側の本所、深川の2区に分け世帯数単位でまとめてみた(表3)。人口は西側が166万人、東側が42万人である。一方、全潰率を見ると西側が4・9%であるのに対して東側は18・4%に達し、隅田川の東側では地盤が軟弱で強い揺れが生じ、多くの家屋が全潰したことが分かる。仮に元禄地震の頃と同じように本所、深川にほとんど人が住んでいなかったとすれば、関東大震災による死者数はほぼ西側のみの1万23人となる。さらに住家の全潰によって延焼火災が多数発生した本所、深川で火災が発生せず、飛び火などによって他地域に延焼拡大しなかったとすれば、元禄地震の時のように目立った火災が無い状況になっていたかもしれない。そう考えると死者数は圧死者のみの1489人となる。さらに人口比を考慮すれば関東大震災の死者数は628人にまで減少し、元禄地震で判明している死者数の340人でもおかしくないという結果になってしまう。

表3 関東大震災の東京市15区の被害[諸井・武村(2004)より作成]

元禄地震以降、江戸は膨張を続け、葦の生い茂る湿地帯も開拓され、科学技術の進歩によって、大規模な埋め立て工事や堤防工事も可能になって、多くの人々が隅田川の東側に住むようになった。それから220年が経過した時に、関東地震が起こり、耐震対策を施していない木造家屋を軟弱地盤で増幅された強い揺れが襲い、多くが全潰しさらには延焼火災の発生を招いて6万9000名もの人々が命を落とすという結果となってしまった。その兆候はすでに70年前の安政江戸地震の時にも表れていたにも関わらず、その後も十分な都市改造がなされないままに人口集中を続け、その日を待つに至ったのである。
科学技術は我々の選択肢の幅は広げるが、何をどのように選択するかによって、我々は返って危険にもなってしまう。科学技術の進展で人間の生活範囲がどんどん拡大する現在、見落としがちな落とし穴を、関東大震災と元禄地震の被害を比較することによって見つけ出したようである。

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